大暁の日記

※クリックすると大きくなります

こちらが私の今の命綱、大暁の日記です。

1日1ページ書けるタイプの日記で、

実はAmazonサイトで今でも買えます。

こうやってやった事を書いていくのって大事だなと思うので、

私も買っちゃおうかしらと思う今日この頃です。

.

でもねー、書きもらしてるのもあるんですよー!

昨日、本棚のファイル…じゃなくて、スクラップブックを見ていて新聞記事を見つけたんですけど、

その日の日記を見てもなーーんにも書いてなくて。

一人で『えええぇぇぇえぇぇ』ってなりました。

沢田大暁の足跡一覧

足跡には入らないけれど…

仕事の足跡としてご紹介はできないのですが、

玄関の門札と墓石の依頼はかなり多いです。

もちろん「澤田家之墓」も大暁が書いていますが

それだけでなく頼まれては書いています。

門札の方は依頼があったけれど取りに来ていないのか?

いくつか書いた札がそのまま家にあります。

お墓も、例えば田中忠夫先生のお墓など書いていますけれど

人のお墓の写真を勝手に撮るのもなと思いますし

玄関先の札を撮ったとしてもご紹介となるとちょっとなー…ってことで

事実はあれどもご紹介はできずです。

.

今となっては自分の家の墓石を誰が書いたかなんて

知らない方も多いかもしれませんけれど、

フォントの文字じゃないという場合は

誰がいつ頼んだのかなど気にしてみると

そこから家族の歴史が垣間見えて来て面白いかもしれません。

吉野義子著「鶴舞」(中央公論社)(1976(昭和51)年7月)

※クリックすると大きくなります

吉野義子さんの句集『鶴舞』です。

吉野義子著「はつあらし」(中央公論社)(1971(昭和46)年9月)に続き、

こちらでもタイトル文字を書いています。

表面がザラっとした銀色の装丁が綺麗ですね。

シンプルながらお洒落な雰囲気です。

※クリッすると大きくなります

前の『はつあらし』の文字より

個人的にはこっちの文字の方が好きです。

容赦なく愛媛県立図書館蔵書の印が捺されちゃってますけど笑

前回の赤い紙と違ってこちらは白い紙だからかもしれませんが、

この作品はなんだか本自体に高級感をあたえている気がします。

沢田大暁の足跡一覧にもどる

吉野義子著「はつあらし」(中央公論社)(1971(昭和46)年9月)

『続 愛媛の文学散歩』(愛媛新聞 1973(昭和48)年7月16日)

※クリックすると大きくなります

読めるでしょうか…心配です。

以前ご紹介した

秋田忠俊著『愛媛の文学散歩』(1967(昭和42)年4月)

の続編である『続 愛媛の文学散歩』です。

こちらのタイトル文字も大暁が書いているのですが

それだけでなく今回は紙面に登場しているのでこちらをご紹介します。

この中にある『翁草』の部分は

『太陽』10月号-No.52(1967(昭和42)年9月)

でご紹介した「松山の三つの寺」の文章です。

この『太陽』の文章は『翁草』という本の中に入っているということで

タイトルの下部分に『太陽』からの文章を転載しているようです。

この記事の中には、

松山北高校文芸誌『たぎり』第24号(1966(昭和41)年) 

の話や、

龍眠会特集の『墨美』159号(1966(昭和41)年6月)

愛媛新聞『碧梧桐座談会』(1967(昭和42)年4月30日)

などの話が出てきます。

こう見ると瀧井先生とのご縁は碧梧桐を通してとはいえ

とても深いように感じられます。

個人的にはこの記事に二人のツーショットが載っていることが

なにより嬉しいところでした。

背景の松山城と桜がとてもきれいですね。

沢田大暁の足跡一覧にもどる

松山北高校生徒会誌『北斗』第15号(1969(昭和44)年)

※クリックすると大きくなります

綴じられているので写真がキレイではありませんが、

松山北高校生徒会誌『北斗』第15号です。

『北斗』は北高に4つあるグループのうちの1つでもあります。

(詳細は松山北高校グループ旗(1967(昭和42)年~1990(平成2)年)にもあります)

由来は、松山北高校が『北豫中学校』と呼ばれていた時代の校章に

北斗七星が入っていたからだそうです。

※クリックすると大きくなります

さて!

最初の画像ですでに私の言いたいことはお分かりだと思います。

そうです、タイトルの文字を書いています。

画像が分かりにくいかもと思ったので

名前が書いてある場所を丸で囲ってみました。

この前の号ではこの文字ではなかったので

この年に書かせてもらっただけかもしれません。

この本は在校生もたくさん書いているので

内容が面白いです。

せっかくなので!

書道部のところもご紹介します。

※クリックすると大きくなります

まっすぐ撮れなくてちょっと読みづらくてすみません。

『沢田先生の不思議な魅力』って何でしょうね笑

フラフラッと書道部に入部しちゃうんでしょうか。(魔力?)

あと、書道部員が20人以上いるのも結構すごいと思います。

この本、家にもあるかもしれないので、

また本棚を探検してみようと思います!

.

『明教』と『湯築小学校誌』と愛媛大学の記念誌は見つけてるんですけど、

『北斗』…どこにあるんだろう。

.

沢田大暁の足跡一覧にもどる

松山北高校弓道場『正射必中』額

松山北高校70周年記念誌『回顧と展望』(1970(昭和45)年)

松山北高校文芸誌『たぎり』第24号(1966(昭和41)年)

松山北高校剣道部「妙機」(1966(昭和41)年10月)

松山北高校『閑吟』(1969(昭和44)年7月)

松山北高校門標(1975(昭和50)年6月)

松山北高校グループ旗(1967(昭和42)年~1990(平成2)年)

松山東高校、松山北高校寄贈『山部宿祢赤人至伊予温泉』歌

吉野義子著「はつあらし」(中央公論社)(1971(昭和46)年9月)

※クリックすると大きくなります

タイトルの「はつあらし」(初嵐)とは秋に吹く風のことでもありますが、

同時に椿の一種にも「初嵐(はつあらし)」という

秋から冬にかけて咲く白い花があります。

表紙の絵から、この本は後者の椿を指しているようです。

※クリックすると大きくなります

銀色のシンプルな表紙を開けるとすぐにこの真っ赤なページが目に入ります。

色遣いがとても素敵ですね。

タイトル文字だけかと思いましたらこんな風に使っていただけており

おおっ、と思いました。

.

この吉野さんとは、

大暁が1966(昭和41)年吉野内科の出入り口の戸の文字を書いていたことや

かつて義子さんご本人が書を習いに来ていた関係で

本のタイトルなどを書くことになったそうです。

もう一冊タイトルを書いている本がありますので

そちらもまたご紹介します。

沢田大暁の足跡一覧にもどる

吉野義子著「鶴舞」(中央公論社)(1976(昭和51)年7月)

松山第五尋常小学校の門跡(松山市立新玉小学校)

先日松山市立新玉小学校へ

松山市立新玉小学校体育館『玉』額(1971(昭和46)年)

を見せていただきに参りました際に、

第五尋常小学校の門がまだあると校長先生がご厚意で案内して下さいました。

※クリックすると大きくなります

大暁が松山第五尋常小学校を卒業したのは、

昭和3年3月のことです。

その翌年(昭和4年4月)には「新玉尋常小学校」と校名が変更されました。

新玉小学校は昭和11年に火事で校舎が消失したり、

松山大空襲(昭和20年7月26日)で焼失したりしたのですが、

校門だけは残ったと、新玉小学校の校庭の隅に移築してありました。

レンガ造りの立派な門で、歴史の重みを感じました。

実際に大暁が通った頃にもこの同じ門があり、

戦火(戦禍というべきか)も潜り抜けてきたのだと思うと

この門を置いておいてくださったことに感謝したい気持ちになりました。

沢田大暁の足跡一覧へ

松山市立新玉小学校体育館『玉』額(1971(昭和46)年)

第23回いろどりの書作展が開催されます!

第23回いろどりの書作展

今年も、第23回いろどりの書作展が開催されますので

お知らせいたします。

■とき

2022年6月15日(水)~6月19日(日)

9:40~18:00(最終日は16:30迄)

■ところ

愛媛県美術館 新館 2階特別展示室

.

今年も彩り豊かな作品がそろっています。

ご期待ください!