【書の鑑賞】4.線を引くということ①

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線質

絵と書の決定的な違いの一つが「線」だと思う。

線自体が生きているかどうか、ということが

書作品を書くうえでとても大切になる。

筆を持ってただひいた線と、

力を込めて書いた線では同じ太さ、同じ長さだとしても全く違って見える。

それは「プロが見たら」という前提がなくても

誰が見ても同じように全く違って見えるはずだ。

書写においては「斜めにおさえる」という点を重要だと教えるが

形はそれできれいに見えたとしても、

その斜めに押さえた線自体に力がなければ

それはただの形にすぎない。

線を生き生きさせるというのは、

単に勢いをつければ良いということでもない。

ゆっくりと書いていても力のこもった線は書けるし、

勢いだけに頼っていない分、線に深み、厚みが出る。

線の厚みというのは説明するのが難しいが、

筆を立てて書いているか寝かせて書いているかというだけでも

ちょっと違ってくるのでぜひ試してみてもらいたい。

このように、線の質というのは書作品を作るうえでとても大切なものだ。

日頃どれだけ練習を積んでいるか、

これまでどれだけ積んできたかが出やすいところでもある。

だからこそ、日々の練習においては

形だけを追うのではなく線にまで気を配ってもらいたいと思っている。

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カテゴリー: お知らせ

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【書の鑑賞】紙の白と墨の黒、そして印影の朱④

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昔、ある書道の展覧会に行ったとき、

外国の方の作品の落款が青かったんです。

で、私はそれを見て、青という選択肢に驚いたんです。

私は消しゴムはんこなどを作成するのが好きなので

スタンプ台は茶色や青など色を使っていたのですが

書作品の落款で朱以外の色を使うことを疑問にすら思いませんでした。

ただ、個人的にはやはり朱い色の方が好きだなと思いましたので

カラフルな落款についてはチャレンジすることはないと思います。

印泥の色が赤であるのは、

もともとが血が使われていたからだとか、

赤という色が縁起が良かったからだとか諸説あります。

個人的にはその青い落款を観て

モノクロの世界に赤の色は想像以上に映える色なのだと感じましたし、

もしほかの色があったとしても、

現在までに淘汰されたんじゃないかと思うくらい朱の色はきれいです。

ところで朱肉の色は、一つではないことはご存じでしょうか。

有名なのは「光明」(こうみょう)、「美麗」(びれい)で、

あと「箭鏃」(せんぞく)というのもあります。

光明は、わりとハッキリした明るい朱色です。

美麗は、どちらかというと深い紅色という感じで、

箭鏃は少し黄色がかった朱色という感じの色です。

お好みですのでどれが良いとか悪いとかいうことではありませんが、

作品のイメージに合わせて選ぶと良いと思います。

また、印には「朱印(朱文)」と「白印(白文)」との二種類があります。

朱印は文字が朱く残るように周りを彫った印のことで、

白印は逆に文字を彫り白い文字として作った印のことです。

見た目でいうと白印の方が赤っぽいので妙ですよね笑

あ、そうそう。

それと、条幅作品の場合、印は基本3か所に押します。

作品の初めの部分と、

名前の後に二つの計3か所です。

作品のはじめのところに押す印は

「関防印」とか「引主印」と呼ばれます。

だいたい縁起の良い文字を彫っている長方形の印です。

名前の後に押す印は、名前の印です。

白印、朱印の順番に上下に押します。

白印の方には氏名または苗字、朱印の方には雅号を彫っている場合が多いと思います。

これは正方形が多いですが、楕円形や竹を切った形など

必ずしも正方形というわけではありません。

そういえば、昔の有名な書において

やたらと印を押しまくっているのがありますよね。

あれは蔵書印といって

今でも図書館の本の背表紙のあたりに図書館のハンコが押してあることがありますが

あれと同じようなものです。

「私が手にしました!」という一種のステータスのようなものでしょう。

今の本のように大量生産できないので

たった一つしかない宝物を自分はもつことができたのだ、という

ひとつの証拠としておしているものだと思われます。

いろいろ話しましたが落款って面白いですよね。

印を彫るのも楽しいです。

石は書道用品店へ行けば数百円で手に入りますし、

印刀がなければ昔使った彫刻刀で十分ですので

自分の印を作ってみるのはおすすめです。

無心になれますよ^^

【書の鑑賞】紙の白と墨の黒、そして印影の朱③

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墨汁が普及してからだいぶ経ちました。

私が子供のころにはもう墨汁が主流でしたが、

自宅にはまだ練り墨や固形がたくさんありました。

固形の墨はまだまだ使いますが練り墨って本当に減りましたよね。

存在を知らない人も多そうな気がします。

墨汁を見て育った人は、「墨は黒い」という認識です。

もちろん墨は黒いんですよ。

材料は、煤、膠、香料です。

にかわを使うので香料は必須です。

墨を作る季節の奈良県では、今でもけっこうにおいがします。

今は本当にいろいろな墨があり、

色がついているだけでなくメタリック墨など変わったものも存在しますが、

昔は、墨は松煙墨と油煙墨とに分けられていました。

松煙墨のほうは「青墨」といって、少し青みがかっていて、

油煙墨のほうは茶色が混ざったような色です。

墨汁のように濃くしてしまってはよくわかりませんが、

少し薄いとすぐにわかります。

その色の違いで、印象が変わります。

色だけではありません。

墨の濃さも印象を変える一つの要因になります。

いわゆる「濃墨」と「淡墨」ですね。

これは水墨画を描くときにも用いられますが

書においても濃淡を使って作品を作ることがあります。

濃いと重い印象を受け、薄いと軽い印象になります。

また、たっぷりと墨を含ませるか、

カサカサとさせるかによっても印象は異なります。

表現者の意図がそこに現れます。

例えば、あなたが作品で「巌」という字を書くとして、

どんな墨を使いますか?

どんな場所にある、どのくらいの大きさの巌をイメージしましょうか。

それによって、選択していけば良いのです。

そして受け手は出来上がったものを見て、自由に想像するのです。

この巌は大きいなあ、とか、年代物っぽいなあ、とか

自由な発想で自由に想像しながら鑑賞すれば良いです。

書写の作品において墨は、基本的に黒です。

ただ、その黒い墨をどのくらい筆に含ませれば

自分にとってちょうど良い墨の量になるのか、

あるいは一文字を墨つぎなしで書ききるには

筆のどの部分にどの程度墨を付ければ良いのかを練習します。

筆の先だけに墨を付けても一文字は持ちません。

根本だけに墨を付けると一画目の筆先には墨がありません。

ボトボトにつけると滲んでしまいます。

試行錯誤しながら、墨を調節して書きます。

墨をつけ直しているところはあとで観るとわかります。

調節が上手な作品は、練習量が多い可能性がとても高いです。

そういった点も、鑑賞する時のポイントになります。

【書の鑑賞】紙の白と墨の黒、そして印影の朱②

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通常習字のお稽古をしている時に

紙にこだわる人はどれくらいいるでしょうか。

大半の人は「書ければ良い」というくらいの認識ではないかと思います。

でもこだわるとそれはそれはこだわってしまうところでもあります。

そもそも半紙というのは、

江戸時代に使われていた公用紙を半分に切った大きさなので

「半紙」なんですが、

公用紙のほうが廃れてしまったので何が「半紙」なのか

今となってはよく分からないですよね。

で、しかも「江戸時代の公用紙」ってことで

半紙のサイズは日本独特のものです。

「習字といえば半紙」ってくらい日本では有名なのに

他ではまったく使われないって不思議な話ですよね。

そして、地方によって、半紙のサイズはちょっとずつ違います。

名前だけは確立してあるのに、サイズ曖昧って何ー!

って感じです。日本人らしいとも思います。

その他の紙の大きさも、実はかなり種類が多いです。

そして大きさだけではなく、質もかなり種類が多いです。

今回は大きさについては半紙に特化して紙の質について書いていこうと思います。

紙については見た目で分かりやすいので

鑑賞という観点とはまた違ってしまいますが

書について考える一つの切り口としてみていただけたらと思います。

安い半紙を買ったとき、

わりと薄くて、つるつるしていませんか。

そして意外と水をはじくことに気が付くと思います。

仮名用の半紙や料紙はまたちょっと違うのですが、

濃墨で書く時の良い紙、と言われるものは、

筆の先にとっかかりがある紙である場合が多いです。

それは、後で出てきますが書において線質がとても大切だからです。

強い線と太い線は違います。

強い線と速い線も違います。

強い線というのは、太さに関係なくキリッとした線を言います。

例えば光明皇后の楽毅論みたいな感じです。

紙の上をひっかくようにガリガリ書いて見えます。

サラッとしてつるつるした紙では

紙の上をひっかくような強い線はなかなか引けません。

もちろん全く書けないというわけではありませんが

もし初めて強い線を引こうとする場合には

強い線の概念を理解することがとても難しくなると感じます。

強い線は筆先に力を入れて書きます。

軸を持って書きながらも、意識は筆先にある感覚です。

筆の先に力を入れるとき、紙に対して筆先に圧力をかけます。

筆先1㎝しか紙についていなくても、左手を使わなければ下敷きが動いてしまうくらい

筆には力が入ります。

力を入れるために、紙はとても大切な役割を果たします。

ただ、紙の質はけっこう好みもあるんですよね。

これは、サラッとした墨が好きかドロッとした濃墨が好きかで違います。

要するに、墨が紙にどれくらい吸い取られるかという点です。

例えばドロッとした濃墨をめちゃくちゃ墨を吸う半紙で書こうとしたら、

ちょっと線を引いただけでカッサカサになっちゃいますよね?

カッサカサが好きとか、そういう効果を狙っているのならそれもアリでしょうが

普段練習するにはそれはちょっとやりづらいと思うんです。

だから、好きな墨と紙の組み合わせを自分なりに試してみるのをお勧めします。

組み合わせによっては滲みたい放題で全然うまくいかないこともあるでしょうし

逆に思いがけず好みの組み合わせが見つかるかもしれません。

値段が高けりゃいいってわけでもないと思いますが

高いには高いなりの理由があるな、とも思います。(私見です)

【書の鑑賞】紙の白と墨の黒、そして印影の朱

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空間芸術

上田桑鳩「書道鑑賞入門」では

「書は平面的な紙や絹に書かれていますが、

 それでもやはり空間を占めているのですから、

 空間芸術に属することになります。」(P.11)

とあります。

空間、というのは立体だけでなく平面にも言えることだ、という趣旨ですが

書は紙に書くだけでなく、石に掘ったり、壷や花瓶に書いたりと

意外と立体である場合もあります。

紙にしても、そうでなくても

与えられた(自分で決めた)二次元、三次元の空間の中で

いかに書くか、ということが重要です。

例えば白い半紙を用意して、

太い線で黒々と紙一杯に書くのと、

細い線で薄墨を使って滲みをきかせた作品にするのでは

空間の使い方が全く違います。

それと同時に印象も全く変わってきます。

あるいは、例えば細く鋭い切ったような線で紙に長い線を引いただけで

その半紙が実物よりも大きく見えることがあります。

空間をうまく使った例です。

だまし絵などでよくある

同じ長さの線が長く見えたり短く見えたりするように、

空間の使い方によって作品は大きくも小さくもなります。

作品の持つ大きさは、空間の使い方によるところが大きいと思われます。

そして、作品の持つ大きさは、小さいより大き方が良い場合が多いです。

作品を鑑賞する場合、

たった一つの作品ではなくて、二つ以上の作品が並んで展示してある時、

その紙の大きさが同じだったら、作品から受ける印象が

二つ同じ大きさかどうか、考えてみてください。

そうすると、同じ紙に書いたものであっても

空間の取り方によって大きくも小さくも見えることが

きっと見えてくるはずです。

【書の鑑賞】文字ってなんだ

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文字というもの

日本の小学校で書写の教育を受けた方は、

「上手に書かなければならない」

「正確に書かなければならない」

という、一種の呪いみたいなものにかかっている場合があります。

そのために、どこかで字を書くときに

妙に緊張してしまったり、劣等感を抱いてしまうことがあります。

正しい文字についてはこちらで言及したので省略しますが、

文字の最も重要な存在意義は、

「時間的、空間的な懸隔のある人(または神)に何かを伝えること」

であると思います。つまり伝達手段です。

(「または神」と付け加えたのはそもそも漢字が甲骨文字だった時

 骨に文字を刻んで焼き、神に対して吉凶を占っていたのが始まりだったからです。)

というわけで、文字が文字である以上、読み手が読めることが大前提で、

その上での自己表現だと私は考えています。

芸術として文字をとらえる場合は、文字は文字として成立させたうえで

それをどう伝えたいのか、どう表現したいのか、が大切です。

難しいことではないのです。

大きく書くか、小さく書くか、

太く書くか、細く書くか、

丸く書くか、四角く書くかだけでも印象は変わります。

漢字は、ほかの文字と違って一つの文字でも意味があります。

どういう風に書きたいのか、表現したいのかが楽しいところです。

ただし、書写の場合は決められた書き方が定められている場合が多いことと、

国語科の中に入っていることで「読みやすさ」を重視している点が

芸術科との大きく違う点です。

そこで最初の「正しくなければ。。。」になるわけですね。

「正しくなければいけない」という教えの大切な点は、

正しく文字として成立していなければ

伝達手段という文字の存在意義を失ってしまうところにあります。

ですから、相手に読んでもらうために正しく文字を書く、ということは

書写であろうが書道であろうが関係なく大切です。

書が文字を使って書いている以上、

文字として成立しているということはとても大切だと思います。

【書の鑑賞】鑑賞するために必要な要素

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重要な大前提

さて、では、鑑賞するために必要なものって何だと思いますか?

「はじめに」の2つの投稿をすでに読んだ方には愚問でしたでしょうか。

鑑賞をするために必要なこと、というものはありません。

観て好きか嫌いか、それだけでもう鑑賞なのです。

ただ、鑑賞をするうえで役に立つことはあります。

それは、例えば審査の際に、審査員の先生方が何を見ているのかということです。

もちろん何もかも好みで決められているわけではありませんから

見るポイントというのがいくつかあるのです。

それは、文字の形、コントラスト、線質です。

これは書写であっても創作作品であっても変わりません。

これに書写の場合は「学習指導要領に定められた書き方」というのが

追加されるだけのことです。

書写は基礎ですので、基本的な形の取り方や筆の使い方ができているかどうかは

ベースとして審査の対象となります。

そういう目線で作品を観ていくと、

また新たな発見があるかもしれません。

【書の鑑賞】はじめに②

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思い立ったきっかけ

そもそもなんでこんなことを言い始めたかというと、

「書の見方」という本の「序章」の部分にとても共感したからです。

あーこれこれ、これ私が思ってたこと!そうなのよー、という

This is it‼感がありました。

どこがって?

もうね全部なんですよ。

ここに全部コピペしたいけどきっと何かの権利に引っ掛かりそうな気がするので

皆様なんとかして読んでください笑

簡単に言うと、

身近にある文字に着目して「いいな」とか「面白いな」と思う時点で

鑑賞できているんだよって話です。

あーうーでもこれは端折りすぎていてなんじゃそりゃって感じですか?

つまり書の鑑賞は、実はとても身近で、日常的で、

本人も気が付かないうちにすでにやっているもので、

改めて「鑑賞の仕方とは!!」とかしこまって考えるようなことではないってことなんです。

「そんなこと言われても、、、」と思ったそこのあなたのために、

これからあれこれ鑑賞についてのヒントを書き綴っていきたいと思います。

あなたにとってちょっとしたヒントになるブログになりますように。

【書の鑑賞】はじめに①

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書とはなんだ?

そもそも私がこんなことを発信しようと思っているのは、

書道、イコール中国でいう書法、イコール韓国でいう書芸というものに対して

書にかかわったことのない人からどう考えても敬遠されているような気がしているからです。

(↑めっちゃ身近だと思ってる!って方ごめんなさい)

周りになんでー?って聞いてみたら、

「だって分かんないからー」

と大抵いつも言われるので、それならば分かりやすく見てもらうべく私が何かできることを

ちまちまと書いていけばよいのではないか、と思った次第です。

書展ってだけ聞いて、知ってる人が出しているとかでもない場合、

何をどう観れば良いのか、皆目見当がつかないというんですよね。

そもそも何を書いているのかも読めないし分からないと。

確かに墨象になってくると専門家であっても誰も分からないことも多いです。

読めるかどうかだけにこだわってないってこともあるんですけど、

何しろ書にはこれという定義がないのです。

えーってなりましたか?もうビックリですよね。

ひとまず昭和の高度成長期頃に

「書は文字を使った造形芸術である」

ということになったらしいのですけれど、

それは範囲が広すぎるように思われてなりません。

文字を使った、というやつがけっこう曲者ですよね??

文字のパーツを持ってさえいればよいのか、

文字として読めればいいのか、

文字と言い張っていればそれで良いのかなど

考えようによってはいろいろある気がするんです。

でも、文字じゃなくなったらそれは絵と差がない気がしませんか?

これじゃ誰も何もわからなくなってきて当然ですよね。

ちなみに広辞苑によると、

「 毛筆を用いて文字を巧みに書く術。 」

と書いてあるのですが、これはこれで、

毛筆って限定しちゃうの??っていう疑問もあります。

書塾に行けば、毛筆に限らずペンや鉛筆も指導していますよね?

それは書に入らないのかと言われれば、入るんじゃないでしょうか?

しかも石碑が全部書に入らなくなってしまいます。

あと逆に、中国の方にとってみれば、日本のかな書や韓国のハングル書は

たとえ文字であっても書の定義の中に入れているのかどうか

きわめてあやしい気がするのですが、どうなんでしょう?

謎多き書の世界。

書とは何かを考えるまずはじめに、

書の観方について一緒に考えてみようかと思います。

また、今後私が「書」という場合、

便宜上「文字を使った造形芸術」という定義で使用します。