【書の鑑賞】文字ってなんだ

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文字というもの

日本の小学校で書写の教育を受けた方は、

「上手に書かなければならない」

「正確に書かなければならない」

という、一種の呪いみたいなものにかかっている場合があります。

そのために、どこかで字を書くときに

妙に緊張してしまったり、劣等感を抱いてしまうことがあります。

正しい文字についてはこちらで言及したので省略しますが、

文字の最も重要な存在意義は、

「時間的、空間的な懸隔のある人(または神)に何かを伝えること」

であると思います。つまり伝達手段です。

(「または神」と付け加えたのはそもそも漢字が甲骨文字だった時

 骨に文字を刻んで焼き、神に対して吉凶を占っていたのが始まりだったからです。)

というわけで、文字が文字である以上、読み手が読めることが大前提で、

その上での自己表現だと私は考えています。

芸術として文字をとらえる場合は、文字は文字として成立させたうえで

それをどう伝えたいのか、どう表現したいのか、が大切です。

難しいことではないのです。

大きく書くか、小さく書くか、

太く書くか、細く書くか、

丸く書くか、四角く書くかだけでも印象は変わります。

漢字は、ほかの文字と違って一つの文字でも意味があります。

どういう風に書きたいのか、表現したいのかが楽しいところです。

ただし、書写の場合は決められた書き方が定められている場合が多いことと、

国語科の中に入っていることで「読みやすさ」を重視している点が

芸術科との大きく違う点です。

そこで最初の「正しくなければ。。。」になるわけですね。

「正しくなければいけない」という教えの大切な点は、

正しく文字として成立していなければ

伝達手段という文字の存在意義を失ってしまうところにあります。

ですから、相手に読んでもらうために正しく文字を書く、ということは

書写であろうが書道であろうが関係なく大切です。

書が文字を使って書いている以上、

文字として成立しているということはとても大切だと思います。

>>続き『【書の鑑賞】紙の白と墨の黒、そして印影の朱』

【書の鑑賞】文字ってなんだ②

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文字の崩し方

最後に、これは必要なことというわけではありませんが、ひとつ付け加えます。

というか、専門家だとこれは絶対必要だと思う方は多いですし、

もし専門家になるなら、必要な要素です。

それは、文字の崩し方です。

書写の範疇でも、中学生からは行書が出てきます。

審査をする場合一般的な行書の書き方については当然知っておかなければなりませんし、

高校生以上も指導する場合は、

一般的な草書の書き方も知らなくてはなりません。

くずし字の覚え方は、文字はパーツとして考えます。

例えば、「椿」という文字であれば

「木」と「春」とに分けられますよね。

この時、偏と旁は上下左右どこにおいてもかまいません。

木が春の右にあっても上にあっても下にあっても

それはかまいません。

ただ、「木」と「春」が必要だってことです。

そして、木と春の崩し方はルールがあります。

ルールがあるのは、前述のとおり文字である以上読めなければならないからです。

そうすれば、ひとかたまりの文字の中に

何のパーツがあるのかを見れば

おのずと何という文字を書いているのかが分かるというわけです。

そうすることによって、

作者がなんでこんな書き方にしたのかな、と

鑑賞の幅を広げることができます。

文字の崩し方のルールは、

基本的には臨書をすることで一つ一つ覚えていくというやり方が一般的ですが

そんなことチンタラやってられるかい、という方には

くずし字の字典を見たり、

字体字典を見たりすることをお勧めします。

私は真草千字文の臨書が好きなので

千字文で大半覚えたと思います。

パーツごとの崩し方を少しずつでも覚えていけば、

組み合わせた漢字が全部読めるようになっていきますので

美術館や博物館で読める字が増えて楽しくなりますよ。