『関東明教』第23号(2022(令和4)年5月)

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今年の『関東明教』において

小池邦夫先生が大暁について書いて下さっています。

見開き2ページのうち、三分の一くらいを割いて

丁寧に書いて下さっていて嬉しかったです。

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関東に住んでいたこともあったのに

この同窓会誌を購読したことが無かったのですが

表紙の文字や絵をはじめ、

知っている方の作品や文章が数多く掲載されていて

読んでよかったと思いました。

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そして、快く1冊贈って下さった

関東支部の同窓会の方々に感謝致します。

そして、うっかり間違えて『明教』に問い合わせたにも関わらず

関東明教を調べて下さった担当の先生にも感謝しています。

みんな優しい…

本当にありがとうございました!

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松山東高校内『明教館』にある『六曲屏風』(1952(昭和27)年)

松山東高校、松山北高校寄贈『山部宿祢赤人至伊予温泉』歌

書は心の探究(サンケイ新聞(1981(昭和56)年1月5日)、『習字』昭和56年1月号)

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この新聞記事については、

『習字』誌で『読者のひろば』コーナーが始まった時に

第2回で登場したのでご存知の方は…あまりいないかもしれませんね。

なにしろそれでももう10年以上前の話です。

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サンケイ新聞に掲載されたこの記事は、

この両脇に名前がたくさん書かれてあったので、

多分広告として出したものかな?と思います。

文章は『習字』昭和56年1月号にも掲載されていました。

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なんだか難解な感じの文章なのですが、

結局のところは

古典も臨書をすることで法帖の心に触れることができる

ということと、

自分の感動を表現する手段として、

過去の感動を表現した手段を土台に

現代の要素や個性をを自分なりに加えていくことが書である

ということかなと考えました。

.

こういう書に対する考え方を書いている文章は

昔からずっと一貫して同じ信念を持っており、

生涯変わらなかったんだろうと思われます。

自分の心が動いて作品ができて、

そしてその作品がまた誰かを感動させる、というのが

芸術ってすごいなと思うところですよね。

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松山北高校70周年記念誌『回顧と展望』(1970(昭和45)年)

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松山北高校グループ旗(1967(昭和42)年~1990(平成2)年)の際に

ちらっと掲載しました『回顧と展望』を

家の本棚でようやく見つけました!

はー、よかった。

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この70周年記念誌の表紙を開けたところに

この文字が登場します。

この文字が書かれてある紙が薄い和紙のような感じで、

なんとも高級感が出ています。

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中の書道部のページです。

夏の合宿、表装の自作、というのは

大暁が指導する書道部のもはや伝統ですね。

裏打ちを今でもやっている部活は多いと思いますが

額を自分で作るのはなかなかないかもな、と思います。

でも、この時にやっておけば作品がどのようにできているのか

よく分かるような気がします。

大人になってからだと、表具屋さんにお願いするので

自分で作品を表具する機会ってあまりないですもんね。

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部活動はおそらく毎日やってそうな感じだったのですが

大暁自身は毎日みっちり行っているわけではなくて

手本を書きに行ったり

「やっとるかー?」と様子を見に行ったりするような

そのくらいの感じがしました。(記録を読む限りの印象です)

本人はまあまあの頻度で出張に行っていましたし、

欧州旅行へ行ったり、

愛媛に来県した方々を案内したりと、

あまりおとなしくじっと学校にいるようではなかったように思います。

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松山東高校、松山北高校寄贈『山部宿祢赤人至伊予温泉』歌

松山北高校剣道部「妙機」(1966(昭和41)年10月)

松山北高校生徒会誌『北斗』第15号(1969(昭和44)年)

松山北高校『閑吟』(1969(昭和44)年7月)

松山北高校グループ旗(1967(昭和42)年~1990(平成2)年)

『碧梧桐の書の変遷』(愛媛新聞1973(昭和48)年12月25、26日)

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こちらが昨日ブログでお話しした日記になかったスクラップブックの記事です。

全く書いていないわりにはちゃんと朱墨で囲っていて

誤字も書きだしているのですが…

こう見ると、新聞の紙の色はこんなに褪せているのに

朱墨の色が全然変わらないので朱墨ってすごいですね。

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この1973(昭和48)年は、

「虚碧生誕百年祭」と銘打って大々的な展覧会が開かれていました。

その実行副委員長を大暁が務めていたので

この時はかなり精力的に碧梧桐について執筆していたようです。

新聞については全く書いていなかったのですが

この展覧会のパンフレットと思われるものの文章を書いたらしく

(パンフレットかどうかは推測です。本人は「六十頁の案内帖」と書いています)

頼まれてからは原稿書きに勤しんでいる様子が書かれてあります。

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この足跡を調べるようになってから大暁の執筆した文章を読むことが増えたため、

なんだかすっかり碧梧桐にも詳しくなってきたような気がします。

各所で撮影した碧梧桐の作品の写真をスクラップにしているものもあるのですが

本人の作品ではなく碧梧桐の作品であるということや、

所蔵されている方の名前が書かれてあることなどから

こちらでご紹介することができないのが残念です。

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『愛媛』「碧梧桐の書と書論」(1964(昭和39)年9月、11月)

龍眠会特集の『墨美』159号(1966(昭和41)年6月)

河東碧梧桐特集の『墨美』164号(1966(昭和41)年12月)

愛媛新聞『碧梧桐座談会』(1967(昭和42)年4月30日)

河東碧梧桐『三千里』上下巻、『続三千里』上巻(1973(昭和48)年~)

『河東碧梧桐 ―俳句と書―』(1982(昭和57)年1月) 

『文化愛媛』創刊号「河東碧梧桐の短詩」(1982(昭和57)年1月)

『墨』36号(1982(昭和57)年5月号)特集:虚子と碧梧桐

吉野義子著「鶴舞」(中央公論社)(1976(昭和51)年7月)

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吉野義子さんの句集『鶴舞』です。

吉野義子著「はつあらし」(中央公論社)(1971(昭和46)年9月)に続き、

こちらでもタイトル文字を書いています。

表面がザラっとした銀色の装丁が綺麗ですね。

シンプルながらお洒落な雰囲気です。

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前の『はつあらし』の文字より

個人的にはこっちの文字の方が好きです。

容赦なく愛媛県立図書館蔵書の印が捺されちゃってますけど笑

前回の赤い紙と違ってこちらは白い紙だからかもしれませんが、

この作品はなんだか本自体に高級感をあたえている気がします。

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吉野義子著「はつあらし」(中央公論社)(1971(昭和46)年9月)

『続 愛媛の文学散歩』(愛媛新聞 1973(昭和48)年7月16日)

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読めるでしょうか…心配です。

以前ご紹介した

秋田忠俊著『愛媛の文学散歩』(1967(昭和42)年4月)

の続編である『続 愛媛の文学散歩』です。

こちらのタイトル文字も大暁が書いているのですが

それだけでなく今回は紙面に登場しているのでこちらをご紹介します。

この中にある『翁草』の部分は

『太陽』10月号-No.52(1967(昭和42)年9月)

でご紹介した「松山の三つの寺」の文章です。

この『太陽』の文章は『翁草』という本の中に入っているということで

タイトルの下部分に『太陽』からの文章を転載しているようです。

この記事の中には、

松山北高校文芸誌『たぎり』第24号(1966(昭和41)年) 

の話や、

龍眠会特集の『墨美』159号(1966(昭和41)年6月)

愛媛新聞『碧梧桐座談会』(1967(昭和42)年4月30日)

などの話が出てきます。

こう見ると瀧井先生とのご縁は碧梧桐を通してとはいえ

とても深いように感じられます。

個人的にはこの記事に二人のツーショットが載っていることが

なにより嬉しいところでした。

背景の松山城と桜がとてもきれいですね。

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松山北高校生徒会誌『北斗』第15号(1969(昭和44)年)

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綴じられているので写真がキレイではありませんが、

松山北高校生徒会誌『北斗』第15号です。

『北斗』は北高に4つあるグループのうちの1つでもあります。

(詳細は松山北高校グループ旗(1967(昭和42)年~1990(平成2)年)にもあります)

由来は、松山北高校が『北豫中学校』と呼ばれていた時代の校章に

北斗七星が入っていたからだそうです。

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さて!

最初の画像ですでに私の言いたいことはお分かりだと思います。

そうです、タイトルの文字を書いています。

画像が分かりにくいかもと思ったので

名前が書いてある場所を丸で囲ってみました。

この前の号ではこの文字ではなかったので

この年に書かせてもらっただけかもしれません。

この本は在校生もたくさん書いているので

内容が面白いです。

せっかくなので!

書道部のところもご紹介します。

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まっすぐ撮れなくてちょっと読みづらくてすみません。

『沢田先生の不思議な魅力』って何でしょうね笑

フラフラッと書道部に入部しちゃうんでしょうか。(魔力?)

あと、書道部員が20人以上いるのも結構すごいと思います。

この本、家にもあるかもしれないので、

また本棚を探検してみようと思います!

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『明教』と『湯築小学校誌』と愛媛大学の記念誌は見つけてるんですけど、

『北斗』…どこにあるんだろう。

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松山北高校弓道場『正射必中』額

松山北高校70周年記念誌『回顧と展望』(1970(昭和45)年)

松山北高校文芸誌『たぎり』第24号(1966(昭和41)年)

松山北高校剣道部「妙機」(1966(昭和41)年10月)

松山北高校『閑吟』(1969(昭和44)年7月)

松山北高校グループ旗(1967(昭和42)年~1990(平成2)年)

松山東高校、松山北高校寄贈『山部宿祢赤人至伊予温泉』歌

吉野義子著「はつあらし」(中央公論社)(1971(昭和46)年9月)

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タイトルの「はつあらし」(初嵐)とは秋に吹く風のことでもありますが、

同時に椿の一種にも「初嵐(はつあらし)」という

秋から冬にかけて咲く白い花があります。

表紙の絵から、この本は後者の椿を指しているようです。

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銀色のシンプルな表紙を開けるとすぐにこの真っ赤なページが目に入ります。

色遣いがとても素敵ですね。

タイトル文字だけかと思いましたらこんな風に使っていただけており

おおっ、と思いました。

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この吉野さんとは、

大暁が1966(昭和41)年吉野内科の出入り口の戸の文字を書いていたことや

かつて義子さんご本人が書を習いに来ていた関係で

本のタイトルなどを書くことになったそうです。

もう一冊タイトルを書いている本がありますので

そちらもまたご紹介します。

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吉野義子著「鶴舞」(中央公論社)(1976(昭和51)年7月)

河東碧梧桐『三千里』上下巻、『続三千里』上巻(1973(昭和48)年~)

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講談社から出版された『三千里』シリーズに

大暁が関わっているのですがこれはあまり知られていないかもしれません。

『三千里』の上・下巻、『続 三千里』の上巻で脚注とルビを担当しています。

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こちらは『三千里』上巻の目次です。

本名の「茂雄」で校訂として登場しております。

これは1972(昭和47)年の12月に三千里への解説を頼みたい、と

東京から電話があり二つ返事で引き受けた、と書いてありました。

解説(たぶん脚注)と難読漢字へのルビをつけることが

今回頼まれた主な仕事だったそうです。

年が明けてからはひと月ほどずっとこの仕事にかかりきりで、

ことあるごとに「碧梧桐の語彙はすごい」と書いていました。

自分で好きに読む分には良いが、

人に見せるものとなると正しくなければならないので

辞書が手離せなかったそうです。

また、自分自身の勉強にもなるので大変ありがたいことだ、とも書いていました。

毎年1月には独立祭のため上京しているので、

その時に講談社で直接打ち合わせもしていました。

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ところで我が家に保管されてある初版本の『三千里 上』には

第二刷用に、かと思うのですがあれこれとメモが書いてあります。

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見えますでしょうか?

鉛筆であれこれとメモをしています。

たくさんのページ(体感だと三分の一くらい)にこのようなメモがあるので、

本が出てからも勉強を続けていたのだなと思います。

『続 三千里』の方は上巻だけ名前が載っているのですが

なぜ上巻だけなのかについてはまた追って調査してみたいと思っております。

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龍眠会特集の『墨美』159号(1966(昭和41)年6月)

河東碧梧桐特集の『墨美』164号(1966(昭和41)年12月)

『新潮』(1972(昭和47)年新年特大号)

瀧井孝作『俳人仲間』(1973(昭和48)年10月)

『河東碧梧桐 ―俳句と書―』(1982(昭和57)年1月)

『愛媛 わが郷土』タイトル文字(1982(昭和57)年11月)

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この本は本当に大きくて立派です。

時代的なものかもしれませんが、

大型本でカバーもしっかりしているし

しかも中身はフルカラーで本当にすごい本です。

さすがバブル期、と思います。

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裏表紙もこんな感じでフルカラーです。

昔の愛媛県の地図が描かれてあります。

昭和57年なのでこの時はまだ四国中央市とかもなくて

宇摩郡とか川之江市とかですし、

東予市や周桑郡も現役ですから、

この古地図だけじゃなくて中身も今となっては懐かしいです。

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名前もしっかり書かれています。

内容はと言うと、愛媛県内の色々な場所の航空写真がずらっと並んでいます。

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1ページだけ、と思いひとまず持田が写ってそうなのにしました。

グラウンドは松山商と松山東と附属です。

あと八坂小学校も写ってますね。

東高校の南側の道の幅が今よりずっと狭いです。

この時はまだ柳もありましたね。

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以前ご紹介した道後ゴルフ倶楽部も写っていましたよ。

愛媛県内のゴルフ場だけをピックアップして載せているのも

なんだかバブルっぽいですよね。(偏見?)

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この時からいえばだいぶ未来に今ありますけど、

たしかに貴重な資料だなと思いますし

こんな贅沢な本は今出せないだろうなと思います。

なんか見れば見るほどすごい本でした。

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『道後ゴルフ倶楽部』入り口の石碑(1978(昭和53)年10月)