愛媛県立松山東高校には『明教館』と呼ばれる
愛媛県指定文化財建造物があります。
ここは昔伊予松山藩の藩校として
1828年から1874年まで使用されてきた建造物で、
正岡子規や秋山兄弟がここで勉強したことで有名です。
(詳しくは松山市ホームページをご覧ください)
この建物は現在、東高校かるた部の練習場所として使用されています。
伺った日が雨の日で外観の写真が撮影できなかったので
松山市ホームページの写真を掲載しておきます。
その中に、沢田大暁の六曲屏風が置かれています。
↑普段は閉じた状態でしまってあります。
ちょうどすぐ上に河東碧梧桐の扁額が飾ってありました。
この屏風は毎年文化祭の時に開いて飾るので、
観たことがある卒業生は多いと思います。
開くとこんな感じです。
私が在学していた頃からずっとここに置いてくださっているので
たくさんの人の目に触れることができて
作品も喜んでいると思います。
もう何十年も生徒たちの目に触れるところで
活かしてもらっているのだと感じました。
また、屏風の配色が明教館の中の壁の色や天井の色や畳の色と
とてもよく合っていて、
明教館の雰囲気をより高尚なものにしている感じがしました。
今後もここで活躍してくれると期待しています。
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※2022/4/27追記→2022/5/1訂正
とても大きなミスをしていたことに気が付きました。
まさかの六曲屏風内容間違いをしておりました。
こちらが正解です。
昭和27年、日展初入選の作です。
そんな記念すべき作品を学校に寄贈していたとは思っていなかったので
驚いたとともに、そういうことを確かにやるかもしれない、とも思いました。
こちらは杜甫「哀王孫」という詩です。
安史の乱で没落した皇族を詠んだ詩だそうです。
私は安史の乱=玄宗皇帝=楊貴妃
みたいな短絡的な思考回路だったのですが、
この詩を読むとなんだかすごく哀愁を感じるというか
単純に正義と悪みたいなものは無くて
複雑で混沌としたものなのだなと思いました。
“松山東高校内『明教館』にある『六曲屏風』(1951(昭和26)年)” への5件の返信
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