【書の鑑賞】紙の白と墨の黒、そして印影の朱②

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通常習字のお稽古をしている時に

紙にこだわる人はどれくらいいるでしょうか。

大半の人は「書ければ良い」というくらいの認識ではないかと思います。

でもこだわるとそれはそれはこだわってしまうところでもあります。

そもそも半紙というのは、

江戸時代に使われていた公用紙を半分に切った大きさなので

「半紙」なんですが、

公用紙のほうが廃れてしまったので何が「半紙」なのか

今となってはよく分からないですよね。

で、しかも「江戸時代の公用紙」ってことで

半紙のサイズは日本独特のものです。

「習字といえば半紙」ってくらい日本では有名なのに

他ではまったく使われないって不思議な話ですよね。

そして、地方によって、半紙のサイズはちょっとずつ違います。

名前だけは確立してあるのに、サイズ曖昧って何ー!

って感じです。日本人らしいとも思います。

その他の紙の大きさも、実はかなり種類が多いです。

そして大きさだけではなく、質もかなり種類が多いです。

今回は大きさについては半紙に特化して紙の質について書いていこうと思います。

紙については見た目で分かりやすいので

鑑賞という観点とはまた違ってしまいますが

書について考える一つの切り口としてみていただけたらと思います。

安い半紙を買ったとき、

わりと薄くて、つるつるしていませんか。

そして意外と水をはじくことに気が付くと思います。

仮名用の半紙や料紙はまたちょっと違うのですが、

濃墨で書く時の良い紙、と言われるものは、

筆の先にとっかかりがある紙である場合が多いです。

それは、後で出てきますが書において線質がとても大切だからです。

強い線と太い線は違います。

強い線と速い線も違います。

強い線というのは、太さに関係なくキリッとした線を言います。

例えば光明皇后の楽毅論みたいな感じです。

紙の上をひっかくようにガリガリ書いて見えます。

サラッとしてつるつるした紙では

紙の上をひっかくような強い線はなかなか引けません。

もちろん全く書けないというわけではありませんが

もし初めて強い線を引こうとする場合には

強い線の概念を理解することがとても難しくなると感じます。

強い線は筆先に力を入れて書きます。

軸を持って書きながらも、意識は筆先にある感覚です。

筆の先に力を入れるとき、紙に対して筆先に圧力をかけます。

筆先1㎝しか紙についていなくても、左手を使わなければ下敷きが動いてしまうくらい

筆には力が入ります。

力を入れるために、紙はとても大切な役割を果たします。

ただ、紙の質はけっこう好みもあるんですよね。

これは、サラッとした墨が好きかドロッとした濃墨が好きかで違います。

要するに、墨が紙にどれくらい吸い取られるかという点です。

例えばドロッとした濃墨をめちゃくちゃ墨を吸う半紙で書こうとしたら、

ちょっと線を引いただけでカッサカサになっちゃいますよね?

カッサカサが好きとか、そういう効果を狙っているのならそれもアリでしょうが

普段練習するにはそれはちょっとやりづらいと思うんです。

だから、好きな墨と紙の組み合わせを自分なりに試してみるのをお勧めします。

組み合わせによっては滲みたい放題で全然うまくいかないこともあるでしょうし

逆に思いがけず好みの組み合わせが見つかるかもしれません。

値段が高けりゃいいってわけでもないと思いますが

高いには高いなりの理由があるな、とも思います。(私見です)

【書の鑑賞】紙の白と墨の黒、そして印影の朱

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空間芸術

上田桑鳩「書道鑑賞入門」では

「書は平面的な紙や絹に書かれていますが、

 それでもやはり空間を占めているのですから、

 空間芸術に属することになります。」(P.11)

とあります。

空間、というのは立体だけでなく平面にも言えることだ、という趣旨ですが

書は紙に書くだけでなく、石に掘ったり、壷や花瓶に書いたりと

意外と立体である場合もあります。

紙にしても、そうでなくても

与えられた(自分で決めた)二次元、三次元の空間の中で

いかに書くか、ということが重要です。

例えば白い半紙を用意して、

太い線で黒々と紙一杯に書くのと、

細い線で薄墨を使って滲みをきかせた作品にするのでは

空間の使い方が全く違います。

それと同時に印象も全く変わってきます。

あるいは、例えば細く鋭い切ったような線で紙に長い線を引いただけで

その半紙が実物よりも大きく見えることがあります。

空間をうまく使った例です。

だまし絵などでよくある

同じ長さの線が長く見えたり短く見えたりするように、

空間の使い方によって作品は大きくも小さくもなります。

作品の持つ大きさは、空間の使い方によるところが大きいと思われます。

そして、作品の持つ大きさは、小さいより大き方が良い場合が多いです。

作品を鑑賞する場合、

たった一つの作品ではなくて、二つ以上の作品が並んで展示してある時、

その紙の大きさが同じだったら、作品から受ける印象が

二つ同じ大きさかどうか、考えてみてください。

そうすると、同じ紙に書いたものであっても

空間の取り方によって大きくも小さくも見えることが

きっと見えてくるはずです。

【書の鑑賞】文字ってなんだ

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文字というもの

日本の小学校で書写の教育を受けた方は、

「上手に書かなければならない」

「正確に書かなければならない」

という、一種の呪いみたいなものにかかっている場合があります。

そのために、どこかで字を書くときに

妙に緊張してしまったり、劣等感を抱いてしまうことがあります。

正しい文字についてはこちらで言及したので省略しますが、

文字の最も重要な存在意義は、

「時間的、空間的な懸隔のある人(または神)に何かを伝えること」

であると思います。つまり伝達手段です。

(「または神」と付け加えたのはそもそも漢字が甲骨文字だった時

 骨に文字を刻んで焼き、神に対して吉凶を占っていたのが始まりだったからです。)

というわけで、文字が文字である以上、読み手が読めることが大前提で、

その上での自己表現だと私は考えています。

芸術として文字をとらえる場合は、文字は文字として成立させたうえで

それをどう伝えたいのか、どう表現したいのか、が大切です。

難しいことではないのです。

大きく書くか、小さく書くか、

太く書くか、細く書くか、

丸く書くか、四角く書くかだけでも印象は変わります。

漢字は、ほかの文字と違って一つの文字でも意味があります。

どういう風に書きたいのか、表現したいのかが楽しいところです。

ただし、書写の場合は決められた書き方が定められている場合が多いことと、

国語科の中に入っていることで「読みやすさ」を重視している点が

芸術科との大きく違う点です。

そこで最初の「正しくなければ。。。」になるわけですね。

「正しくなければいけない」という教えの大切な点は、

正しく文字として成立していなければ

伝達手段という文字の存在意義を失ってしまうところにあります。

ですから、相手に読んでもらうために正しく文字を書く、ということは

書写であろうが書道であろうが関係なく大切です。

書が文字を使って書いている以上、

文字として成立しているということはとても大切だと思います。

【書の鑑賞】鑑賞するために必要な要素

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重要な大前提

さて、では、鑑賞するために必要なものって何だと思いますか?

「はじめに」の2つの投稿をすでに読んだ方には愚問でしたでしょうか。

鑑賞をするために必要なこと、というものはありません。

観て好きか嫌いか、それだけでもう鑑賞なのです。

ただ、鑑賞をするうえで役に立つことはあります。

それは、例えば審査の際に、審査員の先生方が何を見ているのかということです。

もちろん何もかも好みで決められているわけではありませんから

見るポイントというのがいくつかあるのです。

それは、文字の形、コントラスト、線質です。

これは書写であっても創作作品であっても変わりません。

これに書写の場合は「学習指導要領に定められた書き方」というのが

追加されるだけのことです。

書写は基礎ですので、基本的な形の取り方や筆の使い方ができているかどうかは

ベースとして審査の対象となります。

そういう目線で作品を観ていくと、

また新たな発見があるかもしれません。

【書の鑑賞】はじめに②

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思い立ったきっかけ

そもそもなんでこんなことを言い始めたかというと、

「書の見方」という本の「序章」の部分にとても共感したからです。

あーこれこれ、これ私が思ってたこと!そうなのよー、という

This is it‼感がありました。

どこがって?

もうね全部なんですよ。

ここに全部コピペしたいけどきっと何かの権利に引っ掛かりそうな気がするので

皆様なんとかして読んでください笑

簡単に言うと、

身近にある文字に着目して「いいな」とか「面白いな」と思う時点で

鑑賞できているんだよって話です。

あーうーでもこれは端折りすぎていてなんじゃそりゃって感じですか?

つまり書の鑑賞は、実はとても身近で、日常的で、

本人も気が付かないうちにすでにやっているもので、

改めて「鑑賞の仕方とは!!」とかしこまって考えるようなことではないってことなんです。

「そんなこと言われても、、、」と思ったそこのあなたのために、

これからあれこれ鑑賞についてのヒントを書き綴っていきたいと思います。

あなたにとってちょっとしたヒントになるブログになりますように。

【書の鑑賞】はじめに①

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書とはなんだ?

そもそも私がこんなことを発信しようと思っているのは、

書道、イコール中国でいう書法、イコール韓国でいう書芸というものに対して

書にかかわったことのない人からどう考えても敬遠されているような気がしているからです。

(↑めっちゃ身近だと思ってる!って方ごめんなさい)

周りになんでー?って聞いてみたら、

「だって分かんないからー」

と大抵いつも言われるので、それならば分かりやすく見てもらうべく私が何かできることを

ちまちまと書いていけばよいのではないか、と思った次第です。

書展ってだけ聞いて、知ってる人が出しているとかでもない場合、

何をどう観れば良いのか、皆目見当がつかないというんですよね。

そもそも何を書いているのかも読めないし分からないと。

確かに墨象になってくると専門家であっても誰も分からないことも多いです。

読めるかどうかだけにこだわってないってこともあるんですけど、

何しろ書にはこれという定義がないのです。

えーってなりましたか?もうビックリですよね。

ひとまず昭和の高度成長期頃に

「書は文字を使った造形芸術である」

ということになったらしいのですけれど、

それは範囲が広すぎるように思われてなりません。

文字を使った、というやつがけっこう曲者ですよね??

文字のパーツを持ってさえいればよいのか、

文字として読めればいいのか、

文字と言い張っていればそれで良いのかなど

考えようによってはいろいろある気がするんです。

でも、文字じゃなくなったらそれは絵と差がない気がしませんか?

これじゃ誰も何もわからなくなってきて当然ですよね。

ちなみに広辞苑によると、

「 毛筆を用いて文字を巧みに書く術。 」

と書いてあるのですが、これはこれで、

毛筆って限定しちゃうの??っていう疑問もあります。

書塾に行けば、毛筆に限らずペンや鉛筆も指導していますよね?

それは書に入らないのかと言われれば、入るんじゃないでしょうか?

しかも石碑が全部書に入らなくなってしまいます。

あと逆に、中国の方にとってみれば、日本のかな書や韓国のハングル書は

たとえ文字であっても書の定義の中に入れているのかどうか

きわめてあやしい気がするのですが、どうなんでしょう?

謎多き書の世界。

書とは何かを考えるまずはじめに、

書の観方について一緒に考えてみようかと思います。

また、今後私が「書」という場合、

便宜上「文字を使った造形芸術」という定義で使用します。

目次

ここには目次を書いていく予定です。

ただし、順番に書いていくので途中で付け足したり、減らしたり、

また名称が変更されたりする可能性があります。

0.はじめに

 書とはなんだ?

 思い立ったきっかけ

1.鑑賞するために必要な要素

 重要な大前提

2.文字ってなんだ

  文字というもの

 文字の崩し方

3.紙の白と墨の黒、そして印影の朱

 空間芸術 

 

4.線を引くということ

5.まとめ

【参考書籍】

「書道鑑賞入門」 上田桑鳩 著 昭和38年 創元社

「書道鑑賞手帖」 近藤高史 著 昭和58年 木耳社

「入木抄の研究」 伊藤緑苔 著 昭和40年 中部日本新聞社

「書道の知識百科」 古谷稔 監修 平成8年 主婦と生活社

「毎日書道講座 12 書の鑑賞」 山崎大抱 編 1990年 毎日新聞社

「美と芸術の理論」 深田康算 著 昭和46年 白凰社

「日本の遊印」 高畑常信 編 昭和58年 木耳社

「現代書道全集 別巻Ⅱ 名跡鑑賞」 講談社

「書の見方: 日本の美と心を読む」  名児耶明  著 角川学芸出版

【書の鑑賞】文字ってなんだ②

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文字の崩し方

最後に、これは必要なことというわけではありませんが、ひとつ付け加えます。

というか、専門家だとこれは絶対必要だと思う方は多いですし、

もし専門家になるなら、必要な要素です。

それは、文字の崩し方です。

書写の範疇でも、中学生からは行書が出てきます。

審査をする場合一般的な行書の書き方については当然知っておかなければなりませんし、

高校生以上も指導する場合は、

一般的な草書の書き方も知らなくてはなりません。

くずし字の覚え方は、文字はパーツとして考えます。

例えば、「椿」という文字であれば

「木」と「春」とに分けられますよね。

この時、偏と旁は上下左右どこにおいてもかまいません。

木が春の右にあっても上にあっても下にあっても

それはかまいません。

ただ、「木」と「春」が必要だってことです。

そして、木と春の崩し方はルールがあります。

ルールがあるのは、前述のとおり文字である以上読めなければならないからです。

そうすれば、ひとかたまりの文字の中に

何のパーツがあるのかを見れば

おのずと何という文字を書いているのかが分かるというわけです。

そうすることによって、

作者がなんでこんな書き方にしたのかな、と

鑑賞の幅を広げることができます。

文字の崩し方のルールは、

基本的には臨書をすることで一つ一つ覚えていくというやり方が一般的ですが

そんなことチンタラやってられるかい、という方には

くずし字の字典を見たり、

字体字典を見たりすることをお勧めします。

私は真草千字文の臨書が好きなので

千字文で大半覚えたと思います。

パーツごとの崩し方を少しずつでも覚えていけば、

組み合わせた漢字が全部読めるようになっていきますので

美術館や博物館で読める字が増えて楽しくなりますよ。