【書の鑑賞】4.線を引くということ③

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2度書き

習字をするとき、

二度書きはあきまへんで~、という話はよく聞きます。

結局何がいけないかっていう話なんですけれども、

私の個人的見解としては、理由は二つあると思っています。

一つは、「そういうもの」という側面です。

ルールというと分かりやすいかもしれません。

例えば、野球をしていてボークになったとします。

ボークってなんでいけないの?と聞かれたら

「ルールだから」ということになるのではないでしょうか。

みんなが同じルールに則って競技を行うからこそ競技として公平性が保たれるのであって

そのルールを軽視するということは競技そのものを軽視することにつながりかねません。

二つ目は、前々回①でお話しした線質です。

書と絵の決定的な違いである「線」を重要視するという点において、

二度書きは絵の具で塗ることと同義となり、どうしても線質が劣ります。

一度で書いた力のこもった線には勝てません。

そうであれば、最初から一度で書けるように鍛錬しておくことが必要です。

ですから、二度書きはいけない、というルールになったのではないかと考えています。

最後の払いの先が綺麗にまとまらなくて「あー塗りたい!」と思う経験は

誰にでもあることです。

やりたい気持ちは経験者ならみんな理解できます。

だからといってやっていいわけじゃないので、

結論、日々の鍛錬が大切だということですね。

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【書の鑑賞】4.線を引くということ②

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かすれ

書写をするときには特に、

かすれをダメだと思う人が多いように感じます。

もちろんただ単に墨の量の調節がうまくいっていないだけの

乾いたかすれはあまり美しくないですよね。

しかし、力のこもった墨量のある線のかすれについては

美しいと感じる線があることも事実だと思います。

で、結局どのあたりが見分けるポイントになるかというと、

筆先の方に墨が残っているかどうか、だと思います。

線を引くとき、力の入った線は、筆先がだいたい線のどちらかの端を通ります。

横画の場合は上側、縦画の場合は左側であることがほとんどです。

その筆先側に墨が残っている線には力があると感じます。

次回どこかで書作品を観る機会があれば確認してみてほしいのですが

筆の腹側だけがかすれている線のかすれからは、

躍動感と空気感、そして立体感を感じるはずです。

かすれはダメなわけではありません。

良いかすれを出せばいいだけなんです。(そこが難しいんですけど)

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【書の鑑賞】4.線を引くということ①

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線質

絵と書の決定的な違いの一つが「線」だと思います。

線自体が生きているかどうか、ということが

書作品を書くうえではとても大切です。

筆を持ってただひいた線と、

力を込めて書いた線では同じ太さ、同じ長さだとしても全く違って見えます。

それは「プロが見たら」という前提がなくても

誰が見ても同じように全く違って見えるはずです。

書写においては「斜めにおさえる」という点を重要だと教えますけれども、

形はそれできれいに見えたとしても、

その斜めに押さえた線自体に力がなければ

それはただの形にすぎず、線が生きていません。

線を生き生きさせるというのは、

単にスピードを出して勢いをつければ良いということでもありません。

ゆっくりと書いていても力のこもった線は書けますし、

勢いだけに頼っていない分、線に深み、厚みが出ます。

線の厚みというのは説明するのが難しいのですが、

筆を立てて書いているか寝かせて書いているかというだけでも

見た感じがちょっと違ってくるのでぜひ試してみてもらいたいと思います。

このように、線の質というのは書作品を作るうえでとても大切なものです。

日頃どれだけ練習を積んでいるか、

これまでどれだけ積んできたかが出やすいところでもあります。

だからこそ、日々の練習においては

形だけを追うのではなく線にまで気を配ってもらいたいと思っています。

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