沢田大暁が松山北高校に赴任したのは
1966(昭和41)年4月でした。
それまで松山東高校で15年勤めましたが
これ以上は同一校に勤務ができない規定だったため
松山北高校へと転任することになりました。
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この『妙機』という作品は
今も松山北高校剣道部において使ってくださっている
北高剣道部員にとってはおなじみのものです。(多分)
昨年(2021年)もこの文字を背中に染め上げたTシャツを着ている
北高生を見かけましたのでおそらく間違いないと思います。
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この記事を書くにあたりネットで検索していると
昭和44年卒業の剣道部の方の集合写真に
この「妙機」の旗?が写っておりましたので、
おそらく赴任して間もない頃に書いたものだと思われます。
ということは、
もうかれこれ50年以上も使っていただいていることになり
これはとても嬉しいかぎりです!
剣道部の歴史の一部となって生き続けているのを見ると、
形に残るものがあるのは幸せなことだと感じます。
※2022/4/16、2022/8/29追記
記録を調べ、昭和41年10月3日に
240cm×160cmの大紙に書いたということが判明しました。
その前月の9月に、同じく北高校で剣道部の顧問をされていた佐伯先生から
県下女子剣道大会の優勝旗の揮毫を頼まれたことがご縁のようです。
佐伯先生とはその後もお付き合いがあり、
佐伯先生が中山高校の校長先生を務めておられた時には
大暁が中山高校の卒業証書を書いていました。
松山北高校生徒会誌『北斗』第15号(1969(昭和44)年)
松山北高校グループ旗(1967(昭和42)年~1990(平成2)年)
松山北高校70周年記念誌『回顧と展望』(1970(昭和45)年)
“松山北高校剣道部「妙機」(1966(昭和41)年10月)” への12件の返信
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