松山北高校グループ旗(1967(昭和42)年~1990(平成2)年)

松山北高校には、「飛龍」「青雲」「銀河」「北斗」という

4つのグループがあります。

運動会やリレーカーニバルなどのイベントの時に

これら4つのグループに分かれて勝負を行います。

1990(平成2)年に劣化のため刷新され現在は違う旗に変わりましたが、

初代のグループ旗の文字を大暁が書いていました。

(元北高で教鞭を取られていたY先生にご協力いただきました。
 ありがとうございました!!)

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愛媛県立松山北高校に4つのグループが誕生したのは1967(昭和42)年のことです。

※クリックすると大きくなります
「北高100周年記念誌」より

逆にそれまでクラスごとでやっていたということが

まずすごいなと言わざるを得ませんよね。

昭和42年といえば、ちょうど団塊の世代最終年が高校生くらいの年代でしょうか。

(※参考:(団塊の世代とは)1947年−1949年に生まれた世代をいう(コトバンクより))

生徒の数は多かったはずですので

一クラスの人数も多くて可能だったのかもしれません。

ちなみにこの時代の大暁の記録には

「卒業生約600人分の卒業証書が完成した」とか書いてあるので

現在の倍近くの生徒がいたと思われます。

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さて、その大暁が書いたグループ旗なのですが、

見つけて頂けたのはこの北高70周年記念誌に残る写真でした。

※クリックすると大きくなります
「北高70周年記念誌」より

大暁本人の記録では

   1967(昭和42)年9月11日(月)

   運動会に使用するグループ旗(画仙紙全紙四枚の大きさ)

   の文字を書く。四枚。

   大字であるため気合をかけながら書いた。面白い。

とあります。

確かにこの写真で見ても旗はかなり大きいように思います。

原寸大で書いていたとは、と拡大していたわけじゃない点に

感心してすごいなと思いましたが

よく考えたらこの時代に拡大コピーなどというものが

現代みたいに簡単にできないことに思い至りました。

昔の看板や幟なども全部原寸大で書かれてあったということですよね。

見えていたのに気づいていませんでした。

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この旗を見ると、

確かにすべて気合が入ってそうな線質に見えますよね。

今の旗も書体がいろいろでかっこいいですけれど、

この初代の旗もベーシックでかっこいいと思います。

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