大暁が松山北高校に転任した1966(昭和41)年6月、
さっそく文芸部から原稿依頼を受けて寄稿しています。
「瀧井孝作先生を訪ねて」という題で原稿をまとめたものが
この文芸誌の巻頭に掲載されています。
(左から順番に読んでください。)
この時、龍眠会特集の『墨美』159号(1966(昭和41)年6月)が
ちょうど出たところだったので、
その時の大暁の頭の中は龍眠会や碧梧桐や瀧井先生でいっぱいだったのだなと
文章を読んでいるだけで感じます。
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今は中村不折の書道博物館があったり、
”不折流”のデビューと言われる「龍眠帖」など龍眠という名前にも覚えがあったり
龍眠会や中村不折、河東碧梧桐について研究する方も多くありますが
やはりこの1966(昭和41)年の時点では
あまり研究する人がなかったように書かれてあります。
それだけにやりがいを感じていたのかもしれませんし、
応援してくれる瀧井先生にはすごく力をもらっていたのだと
この文章を読んで改めて思いました。
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この時の自分のことを書き残してくれていて
とてもありがたいと思います。
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松山北高校70周年記念誌『回顧と展望』(1970(昭和45)年)
河東碧梧桐特集の『墨美』164号(1966(昭和41)年12月)
松山北高校生徒会誌『北斗』第15号(1969(昭和44)年)