『太陽』10月号-No.52(1967(昭和42)年9月)

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月刊『太陽』10月号です。

こちらは、先日小池邦夫先生からお電話を頂いた際に

おすすめしてくださった雑誌です。

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この左ページにある「松山の三つの寺」という瀧井孝作先生の記事です。

私もこの随筆に大暁が掲載されていることは知っていたのですが

家の中にこの号が見当たらず、ちょうど古本を注文したところでした。

小池先生はお電話口にて

「二人の関係性が良く出ていて僕は本当にこれは良い記事だと思う」

とおっしゃっていたので、届くのを心待ちにしていました。

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カラーが美しい誌面ですよね。

石手寺だと思いますが、今より両脇がすっきりしているような気がします。

※右から順に読んでください
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このほかにもお寺のカラー写真が豊富にあり充実した誌面でしたが

今回はそちらは割愛しておきます。

文章だけでも松山に行きたくなる盛りだくさんな記事ですね。

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この時のことは大暁も日記に書いていて、

照らし合わせてみても同じことが書いてありました。

瀧井先生は二人(大暁と妻)とのやりとりをそう長く書いているわけではないのに

二人のしぐさを具体的に書いておられるのでなんとなく空気感というか

距離感が伝わりますよね。

最初に「知己」と書いておられるところもなんだかほっこりします。

ちなみに大暁の日記の方は紙面の都合上行き先などメモしていた感じでしたが

「瀧井孝作先生来る!」と日記のタイトル文字をめっちゃ大きくしていたところに

期待感というか喜びを感じられる日記でした。

(多分、大暁本人をご存知の方なら「わかるー」ってなるやつです)

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碧梧桐という自分と相手の共通に好きなもの(人)について

心ゆくまで語り合うことができるのは、

年齢に関わらず近しい間柄になれるのだと思いました。

一種の友情かもしれません。同志だったのかもしれません。

師弟関係というわけでもないですし、

ともかく特別な関係だったのかなと想像します。

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ところで、この来松の際には愛媛新聞社において座談会が行われ

後日(昭和42年4月30日)の愛媛新聞に掲載されました。

そちらもまたご紹介しますね。

※2022/6/11追記

『習字』1967(昭和42)年6月号に来松の際の随筆がありました。

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(1)とか書いてますがこの1回きりで終わりでした…

こういうのわりとあるんですよね。

最後まで書いて欲しかったー!

新聞に載ってた松山城の写真がありましたが、

この中ではまだ松山城まで行きついてないんですよね。

桜満開の松山城を背景にした写真は

一体誰に撮ってもらったんでしょうか?

通りすがりの人だったのでしょうか?

沢田大暁の足跡一覧にもどる

愛媛新聞『碧梧桐座談会』(1967(昭和42)年4月30日)

『新潮』(1972(昭和47)年新年特大号)

『続 愛媛の文学散歩』(愛媛新聞 1973(昭和48)年7月16日)

瀧井孝作『俳人仲間』(1973(昭和48)年10月)

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