松山大学には三恩人と呼ばれる、
大学(当時の松山高等商業学校)設立に尽力した三人の先駆者がいます。
(三恩人についてはここから松山大学のホームページをご覧ください)
特に説明を受けるというわけでもないと思うので、
在校生でも知らない方は多いかもしれませんが、
キャンパス内には三人の胸像があります。
建立されている場所に赤い丸を付けてみました。
ここで、毎日学生たちを見守っています。
この胸像の名前と、それぞれの胸像の碑文を沢田大暁が書いています。
ではまず、新田温山翁からです。
新田温山翁は実業家の方で、松山大学だけでなく味生小学校の設立にも
財政的に援助しています。
そして新田高校を創立した新田仲太郎の叔父でもあります。
(新田仲太郎の父の弟が新田温山です)
この像は正門を入ってすぐにあるのですが、
周りの緑に映えてまさかここに60年も建っているとは思えない程きれいな像でした。
左の写真を撮った時に撰文も大暁だと思っていなくて碑文を撮り忘れたため
再度行くと左の写真では咲いていなかったツツジが咲いていました笑
撰文を撮り忘れてガックリきていましたが、
結果的に満開のツツジに会えたので良かったです。(ポジティブ)
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さて、次は加藤拓川翁です。
この方は正岡子規の叔父にあたりますし
第五代松山市長も務められた方なのでご存知の方もおられるでしょう。
この方が、新田温山翁と加藤彰廉翁をつないだといわれています。
こちらの碑文は文字が薄く、もうはっきりとは読めませんでした。
彫ってある部分だけ色を塗ってくれないかな、
塗ってくれれば読めるのに…!と思いました。
(松山大学関係者の方もし見ていたら宜しくお願いします!)
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さて、最後に初代校長の加藤彰廉先生です。
この像の前にはベンチがあるので、
知らず知らず見ている学生さんもたくさんおられるはずと思います。
衆議院議員、北予高校(現在の松山北高校)の校長を務めた後、
亡くなるまでずっと松山高等商業学校(現在の松山大学)校長を務めました。
現在の校訓「三実」を作った方と言われています。
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碑文の方は読みづらくて比較できませんが、
銘の方は比較することができました。
こうやって並べてみると面白いですね。
「加藤」さんがお二人いますがそれぞれ書体を変えていることが分かります。
また、左のふたつは「翁」なのに、「加藤彰廉先生」になっています。
私見ですが、加藤彰廉先生は「教育者」という側面が強かったのかなと思っています。
それに、初代学長を務めておられたということもあると思います。
年齢的には新田温山翁より少し年下ですし
それ以外に思いつかないのですが、いかがでしょうか。
依頼は同時期だったのでこの三つは一緒に書いたと思います。
ということは、書体も、敬称もわざと変えて書いたはずです。
三つの胸像の真ん中だけ少し変えている、というのが
ちょっと面白いですよね。