伊予の書(1974(昭和49)年1月)

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実物を見てびっくりしたんですが、

この本、かなり大きくて、そして立派です。

まさに『豪華』という感じでした。

この表紙の文字は村上三島先生による揮毫です。

そういえば大三島にある村上三島記念館にも

大暁の作品がありますよね。(急に思い出した)

いつか機会があれば是非観に行ってください。

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さて、この本ができた経緯についてはあとがきにありましたので

あとがきを先にご紹介します↓

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つまり、昭和51年に愛媛新聞社が創刊100周年にあたることから

それを記念して『伊予の書』が作られ、

その編集委員として大暁も名を連ねている、ということのようです。

こちらの中に大暁の文字作品があるわけではありませんので

中身のご紹介ができないのが残念ですが

碧梧桐の書などがあるのでその辺りに関わったのかなという感じがします。

また別途調査が進みましたら追記としてご紹介します。

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『大暁の足跡』コーナーもどんどん充実してきました。

それに伴って追記も増えてきててんやわんやです。

ここらでちゃんと整理もしないとなと思っていますが

私自身の体力的にも『ぼちぼち』というスタンスで

息の長いものとして続けていきたいと思います。

お付き合いよろしくお願いいたします!

※2022/5/17追記

瀧井孝作先生の「伊予の書」に関する文章を見つけましたので

追記して掲載いたします。

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(瀧井孝作全集第11巻P.431-432)

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松山北高校『閑吟』(1969(昭和44)年7月)

※2013年 松山北高校にて
澤田大星会長、明佳副会長

松山北高校の応接室には『閑吟』という作品が飾られています。

この作品は1969(昭和44)年7月、

大暁が当時勤めていた松山北高校に寄贈したものです。

この『閑吟』という作品は、寄贈の前年(昭和43年)の毎日書道展において

準大賞を受賞した作品です。

毎日書道展準大賞受賞(『習字』1968(昭和43)年9月号)

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昭和44年の3月2日、NHKの教育テレビ(今のEテレ)の

『書道講座』という午後2時から放映していた番組内で

この作品は紹介されたことがあります。

この時、伊東参州先生、鈴木天城先生、白井竹舟先生が

格別に褒めてくださったと書いてありました。

映像を見てみたかったのですが、

この当時は一般家庭において録画という概念がまだなく、

また放送局でも法律で録画を渡すということができないため

私がこの映像をみることはできませんでした。残念。

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その後、『閑吟』という作品は表具をし直して北高校へ寄贈されました。

7月の校長会の時に会場で披露されたのことで

大暁はこのことをとても誇らしく思っていたようです。

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勤めていた松山東高校、松山北高校、愛光学園には

大暁は複数の作品を残しています。

今もあるものも、劣化などの理由により残念ながらもうないものもありますが、

勤めていた記録として受け入れてくださった学校の方々に感謝したいと思います。

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松山東高校、松山北高校寄贈『山部宿祢赤人至伊予温泉』歌

松山北高校剣道部「妙機」(1966(昭和41)年10月)

松山北高校生徒会誌『北斗』第15号(1969(昭和44)年)

松山北高校グループ旗(1967(昭和42)年~1990(平成2)年)

松山北高校70周年記念誌『回顧と展望』(1970(昭和45)年)

松山北高校門標(1975(昭和50)年6月)

【ちょっと小咄】『大暁道人』の落款

俵原池 石碑 (1953(昭和28)年)

松山市北条にある俵原池(たわらばらいけ)には

石碑があります。

作品集で見つけたので撮影しに行ってきました。

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これが作品集内のページです↑

まず俵原池に初めて行ったので

行き着くまでにちょっと迷っちゃいました。

サンセットヒルズカントリークラブのすぐ近くなので、

そのつもりで看板を見ていくと良いと思います!

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作品集と同じアングルで写真を撮ってみました!

昭和28年ということは、沢田大暁はまだ30代です。

だからなのか、これには本名も書いてありますね。

最後に、その年の習字誌にもチラッと出ていましたのでご紹介します。

『習字』昭和28年7月号

後年の沢田大暁なら表紙に写真を使うくらいのことはしそうな気がしますけど、

まさかのたった4行!

逆にビックリしますよね。

立派な石碑でした。

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道後小学校跡の石碑

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ちょうど桜が満開だったので、

道後保育園の桜をバックにして撮影しました。

これは、

にぎたつ会館とメルパルクと道後保育園のところにある

湯築尋常高等小学校、道後小学校跡の石碑です。

こういう自然の石の石碑って、

書くバランスが難しそうですよね。

太い文字が右側に集まっているので すが、

文字数的に1列にするため横長の文字にして、

左側は細い代わりに密にして

遠目に見た時バランスが良くなるようなレイアウトにしたのかなと思いました。

最後の名前を縦長に傾けて書いてるのがポイントですよね。

道後には他にも石碑がありますので、

またご紹介します!

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※2022/5/24追記

この湯築尋常高等小学校は

大暁が新任として初めて教壇に立った学校です。

この高等小学校で働きながら文検合格を目指しました。

その後愛媛師範学校の助教授になるまでの8年間を

この学校で過ごしましたので大暁にとって思い出深い学校です。

この石碑と共に、道後小学校正門(1969(昭和44)年1月)の門標も

大暁が揮毫しています。

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道後小学校正門(1969(昭和44)年1月)

愛光学園生誕地の石碑(1978(昭和53)年3月)

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草創期に入学された方はご存知でしょうが

愛光学園が開校した当初、

校舎があったのは今の衣山ではありませんでした。

でも、今でも生誕地には、

沢田大暁が揮毫した石碑が建っています。

さてここはどこでしょうか??

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ここは宮田町のフジグラン松山です。

北東の角に、この石碑はあります。

初代校長の田中忠夫先生と親交があつた祖父は、

田中先生からたびたび依頼されたようです。

だいたいいつも家にやってきて、

一筆お願いします、ということになるようでした。

ここは昭和61年のリレーマラソンの出発地にもなりました。

リレーマラソンについては祖父のまた別の揮毫があるため

別に分けて書く予定です。

これについては調べ始めてから初めて知ったのですが、

いかにも愛光生らしい面白い企画でワクワクしました。

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愛光学園二期生『にぎわい』リレーマラソン(1986(昭和61)年10月)、(『習字』1986(昭和61)年12月号)

愛光学園内『日野荘氏 顕彰碑』(昭和53年3月)

愛光学園正門