『制作は発見也ー瀧井孝作先生と書ー』独立書人団(1973(昭和48)年9月)

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家にあったものなので、

澤田の蔵書印が捺してありますが気にしないでください。

実は中身も結構瀧井先生の言葉に赤えんぴつで線が引いてあります。

特に気に入ったところだったのかなと思います。

この対談は小池邦夫先生と小木太法先生とが企画してくださったものです。

この話が最初にあったのは、

1971(昭和46)年2月20日で、

小池先生が持田の家に来て大暁に企画を持ちかけて下さいました。

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そして実現したのがその年の7月8日。

赤坂の山の茶屋というところだったそうです。

大暁の記録によれば、

「家の周囲は樹木が生い茂り、山へ来た感じがする。」

と書いてありました。

瀧井孝作先生とは1965(昭和40)年森田子龍先生の御紹介にて

お会いして以来のお付き合いで、

上京するたびにご挨拶に伺ったり、

碧梧桐の話や作品の写真をみせたりして

滝井先生には「息子の様に思う」と仰って頂いていたということです。

(この件は龍眠会特集の『墨美』159号(1966(昭和41)年6月)にも載せています)

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この冊子は全部で10ページ程の薄いものですが

中身はとても濃く、そしてなにより参加している三人が皆楽しそうなのが印象的です。

話は漢時代の石碑のことから始まり、

碧梧桐について、また顔真卿についてや副島蒼海、志賀直哉など

皆の思いつくままに多岐にわたります。

こういう話ができる仲間と自分の考えを話して議論することは

それ自体楽しいことですよね。大暁も

「心の通った相手だけに、話は自然に進む…

 和やかな晩餐だった。瀧井先生と二時間程話し合った」

と書き残しており、楽しい会であったことが伺えます。

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龍眠会特集の『墨美』159号(1966(昭和41)年6月)

愛媛新聞『碧梧桐座談会』(1967(昭和42)年4月30日)

『新潮』(1972(昭和47)年新年特大号)

瀧井孝作『俳人仲間』(1973(昭和48)年10月)