松山市福角町に松山市立堀江小学校があります。
こちらの東門の文字を大暁が書いています。
夕焼けがまぶしすぎて写真を撮る私が思い切り写りこんでいますが
それは見なかったことにしてください。
前にご紹介した道後小学校正門(1969(昭和44)年1月)と比べて、
スッキリした線でスラリと書いていますね。
松山市立桑原小学校(1970(昭和45)年7月)のはそもそも隷書風なので
雰囲気が全然違います。
参考までに二校の門標の画像を下に並べておきます↓
このように、同じ門標でも「今回はこんな感じにしよう」
「今回はこういう風に書いてみよう」といろいろ試していることが分かります。
また、渡す際に一つではなく三つくらいの候補を渡して
その中から好きなものを選んでもらうというのも
わりとよくしていたようです。
記録にも「同じにならないように」と書いてありました。
でも自分が書いたいろいろな学校の門標の写真を撮って回って、
現像したのを見てみて「こう見るとどれも似ている」
とガックリしていることもありました。
ずっと自分に厳しい目を持つことはすごいことだと思いました。
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ところで写真と言えば、大暁は写真を撮ることがとても好きだったので
残っているものがたくさんたくさんたくさんあります。
(本当に多いので三回言いました)
いつか整理できればきっと意味があると思うので、
長い時間をかけてデータ化していけたらいいなと思います。
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(※2022/10/31追記)
この東門の依頼をしたのは玉井さんという方で、
日記によれば(教え子)と書いてありました。
いつの教え子の方なのかは不明です。
その玉井さんと、校長先生と、PTA会長さんと3人でいらして、
門を新しく作ったので書いて欲しい、という依頼だったということです。
これが、昭和51年2月5日(木)のことでした。