道後小学校跡の石碑

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ちょうど桜が満開だったので、

道後保育園の桜をバックにして撮影しました。

これは、

にぎたつ会館とメルパルクと道後保育園のところにある

湯築尋常高等小学校、道後小学校跡の石碑です。

こういう自然の石の石碑って、

書くバランスが難しそうですよね。

太い文字が右側に集まっているので すが、

文字数的に1列にするため横長の文字にして、

左側は細い代わりに密にして

遠目に見た時バランスが良くなるようなレイアウトにしたのかなと思いました。

最後の名前を縦長に傾けて書いてるのがポイントですよね。

道後には他にも石碑がありますので、

またご紹介します!

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※2022/5/24追記

この湯築尋常高等小学校は

大暁が新任として初めて教壇に立った学校です。

この高等小学校で働きながら文検合格を目指しました。

その後愛媛師範学校の助教授になるまでの8年間を

この学校で過ごしましたので大暁にとって思い出深い学校です。

この石碑と共に、道後小学校正門(1969(昭和44)年1月)の門標も

大暁が揮毫しています。

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道後小学校正門(1969(昭和44)年1月)

愛光学園生誕地の石碑(1978(昭和53)年3月)

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草創期に入学された方はご存知でしょうが

愛光学園が開校した当初、

校舎があったのは今の衣山ではありませんでした。

でも、今でも生誕地には、

沢田大暁が揮毫した石碑が建っています。

さてここはどこでしょうか??

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ここは宮田町のフジグラン松山です。

北東の角に、この石碑はあります。

初代校長の田中忠夫先生と親交があつた祖父は、

田中先生からたびたび依頼されたようです。

だいたいいつも家にやってきて、

一筆お願いします、ということになるようでした。

ここは昭和61年のリレーマラソンの出発地にもなりました。

リレーマラソンについては祖父のまた別の揮毫があるため

別に分けて書く予定です。

これについては調べ始めてから初めて知ったのですが、

いかにも愛光生らしい面白い企画でワクワクしました。

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愛光学園二期生『にぎわい』リレーマラソン(1986(昭和61)年10月)、(『習字』1986(昭和61)年12月号)

愛光学園内『日野荘氏 顕彰碑』(昭和53年3月)

愛光学園正門

松山大学正門の文字

松山大学正門の「学校法人 松山大学」という文字も

沢田大暁が揮毫しております。

下の画像は、

日経新聞に広告を掲出した際のものだそうです。

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これは、もともと松山商科大学だった時から

正門の文字を沢田大暁が揮毫しておりましたので

学校名が変わるタイミングでまた新たに書き直したものです。

もともとの写真も残っておりましたので掲載しておきます。

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現在の名称に大学名が変更になるタイミングで

新聞記事なども掲載されていたと

松山大学様にご協力頂いて記事を頂けましたので

そちらも掲載しておきます。

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日頃はあまり正門や図書館の文字をじっくり観るようなことはないかもしれませんが

もし近くを通る機会がある時には

観て頂けると嬉しいです。

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松山大学『三恩人』の胸像(1963(昭和38)年8月)

松山大学御幸キャンパス(1985(昭和60)年)

松山大学御幸キャンパス『彰廉館』門標(1997(平成9)年3月)

『習字』 昭和27年5月号

昭和27年5月号

昭和27年4月号(創刊号)から、

当時東京学芸大学助教授だった伊東参州先生の

「新日本書道史」の連載が始まります。

こちらは5月号の写真です。

記事の内容は、その2年前に発行された伊東先生の同名の著書の転載なのですが、

先生から許可を頂いての連載となりました。

(創刊号の裏の編集後記の欄にそのような記述がありました。)

こういった書の歴史だけにとどまらず、

真鍋士鴻先生と沢田大暁による誌上講座もありました。

ただお手本が掲載されているだけでなく

学術的にも勉強ができ、

また読み物としても面白い雑誌として

習字誌はスタートしました。

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競書雑誌『習字』創刊号

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競書雑誌『習字』創刊号です。

沢田大暁と、真鍋士鴻先生とで作りました。

真鍋先生とは途中で分かれてしまいましたが、

この創刊号にはお二人の情熱を大いに感じることができる

アカデミックで濃い内容の雑誌となっています。

ここに、創刊号裏表紙にある綱領を掲載しておきます。

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一、習字教育の普及徹底をはかる。

二、一流一派に扁せず、簡易平明な書風を建前とする。

三、古典を尊重し実用書則芸術書である事を明かにする。

四、習字教育にたづさわる教員の資質向上を図る研鑽の場とする。

五、文化遺産としての書道に対する一般の関心を深める

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これは現在の競書雑誌『習字』にも

脈々と受け継がれている考え方です。

学習指導要領に沿った基礎をしっかり身に着けてもらい、

形だけでなく線質や取り組む姿勢など

文化遺産としての書道を重視して指導にあたっています。

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最後に、創刊にあたっての文章を掲載しておきます。

思いが詰まった文章です。

是非クリックしてご覧ください。

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※2022/5/14追記

『創刊にあたって』の文字起こしをしましたので以下に掲載いたします。

この『習字』誌の考え方は

現在でも全く変わりなく、脈々と受け継がれています。

—-ここから—-

 一般庶人の書道に対する関心はこの二三年とみに高まって来たし、普及もして来た様であります。
 しかしそれは都市を中心とした部分的なものであって、広く地方にまで及んでいないうらみがあるようです。心ある者の間では、国民の書写能力の低下がさけばれ、日常使用の文字でさえろくに書けぬ児童生徒の多いことをうれえておりますが、しかし一方では、日常使用の文字を、正しく美しく書くことよりも、高い芸術性を盛った書が称揚せられている傾向も見られるようです。私達はもちろん芸術としての書の深さもじゅうぶんわきまえて居るつもりですし、その傾向に決して反対するのではありませんが、書道が一般国民の芸術であることを思えば誰にも理解され親しまれるものでなければならぬと思うのです。書の深い芸術性を極度に掘り起して、それを磨き上げることは、私達書を学ぶ者の務めでありましょうが、誰にも親しまれ愛され、一般国民の日常生活と切り離すことの出来ない書を普及させることもまた大切な務めであると思うのです。八百屋さんも大工さんも或は農家の人々も、毎日使用している文字には強い感心を持って居りましょうし、それを美しく書きたいというひそやかな願いは誰しも必ず持っているだろうと思います。国家はそういう方達で形づくられて居るものであり、小中学校の生徒も、やがてはその一員として巣立って行くのです。ですから、学校での習字或は書道は、そういう人々の願いを満足させる面をも当然持つべきものであると思います。
 そういう観点からこの習字誌は、日常生活に必要ないろいろの場合に、書くことみることに事かかない様に編集して行くつもりですから、鑑賞は無論のこと、書く方面では鉛筆、鉄筆、毛筆、ペンなどの用具を使った手本をのせておりますし、書風も一般にいわれる実用的なものを主としておりますが、然し実用の目的に応じて変化し得る書体、書風を選ぶつもりです。それが実際に社会の要求に応じることであると信じます。児童生徒の書写能力の低下がさけばれている今日、私達習字教育に従事するものは、目標をしっかり定めて立ち上がらなければならないのです。その目標は、一つは教育書道の正しいあり方を確立することと、もう一つは、書道の普及にあると思うのです。一流一派に立てこもって用筆法などの細部を云々するよりも、一人でも多くの人が書に対する理解と趣味を持つように努力するのが私達の任務であります。私達はただこの二つの目標を達成する為に出来る限り力を尽したいと決心しています。習字誌発行の目的もすべてそこにあって、ひたすらその目標を達成すべく努力しようとする私達の願いの具体的なあらわれであります。児童生徒は勿論、教師も父兄の方々もどうか力強い御協力をお願い申し上げます。
(旧かなづかいは新かなづかいに変更、旧字体は常用漢字に変更)

—-ここまで—-

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墨36号(1982年5月号)特集:虚子と碧梧桐

1982年(昭和57年)の墨36号に、

8ページにわたって高浜虚子と河東碧梧桐について

執筆させていただいています。

この頃の日記には、校正を郵送でやり取りしている様子が書かれてあり、

こちらからは毎回速達で送っていることが伺えます。

こういった研究では毎回全国を車で飛び回って作品の写真を撮り、

こまめに整理してはまとめていたようです。

退職していたとはいえ忙しかったはずなのに、

時間というのは捻出すればあるものなんだなと

改めて私もちゃんと生きようと思いました。

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「沢田大暁の足跡」ページを作成しました。

少しずつ足跡をたどっていくと、

思っていた以上にたくさんの足跡がありました。

改めてその大きさに圧倒されるとともに、

ある程度まとめておかないと見づらいなと自分でも思い始めたので

コーナーとしてまとめるためのページを作成することにしました。

TOPページのコンテンツ欄の右下にアイコンを追加していますので

気になった方は是非そちらからご覧下さい。

↑こちらのアイコンです。

上のボタンをクリックするとページに飛びます。

瀧井孝作『俳人仲間』(1973(昭和48)年10月)

沢田大暁の足跡シリーズ。

瀧井孝作『俳人仲間』(1973(昭和48)年10月15日発行 新潮社)です。

初版本を頂いたようです。

3枚目の右ページに沢田大暁が登場していますのでご注目ください。

瀧井先生とは親交があり、松山に来られた際には自宅にも泊まりに来てくださったと

この後のページに詳細な記述があります。

また、別の随筆にも登場するようで、

東京と愛媛という離れた場所に住んでいながらも近しい

付き合いがあったことが分かります。

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『太陽』10月号-No.52(1967(昭和42)年9月)

『新潮』(1972(昭和47)年新年特大号)