澤田大暁著 句集『汲淦』(1983(昭和58)年5月20日)

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競書雑誌『習字』を購読されている方にはお馴染みの

澤田大暁句集『汲淦』です。

私はながらく「きゅうきん」と呼んでいましたが

淦に「キン」という読みは無いみたいです。

(「コン」か「カン」ならあるようです)

この本のタイトルは『淦(あか)を汲(く)む』という訓読だったのでは、

と今は思っています。

(※2022/5/31追記

 読み方について筒井先生から教えて頂きました!

 「キュウカン」が正しいそうです!謎が解けて嬉しいです。)

わが身の勉強の足らなさぶりが恥ずかしいです。

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この写真もお馴染みですよね。

記録によれば、この写真は佐伯先生が撮影して下さったようです。

撮り直ししたり、白黒の写真を指定したり

けっこうこだわって撮ったようです。

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この本をお持ちの方はご存知でしょうが

本を開くと突然小池邦夫先生のお手紙が目に飛び込みます。

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表と裏とにまたがって書かれてあります。

これは、そもそもは瀧井孝作先生に序文をお願いしていて、

ご自宅まで伺って依頼をしていたのですが、

先生の体調がお悪くて実現できなかったという経緯があります。

(瀧井先生は翌年1984(昭和59)年にお亡くなりになっています。)

びっくりする表紙の裏ですが、

逆に「なんだなんだ??」って読みたくなりますよね。

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そして本文のすぐ前に、上の一文が書かれてあります。

私の祖母である輝子は

私が生まれるよりも前、というか

両親が結婚するよりも前に亡くなりました。

1978(昭和53)年のことです。

そのため私自身は会ったことがありません。

記録の中に出てくる祖母はとても働き者で、

家事だけでなく大暁の仕事も手伝ったり、

趣味のコーラスに勤しんだり、

友達と旅行に行ったり、

3人の子どもたちについて大暁と相談したり、心配したり、

大暁の視点から見た妻はいつも生き生きしています。

この句集にはそんな妻をはじめ、

家族のことも沢山書かれてあって、

なんだか日常を垣間見るような感じがします。

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どこを例として載せようかな、と思った挙句

せっかくなので私が載っているところにしてみました。

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最後に、小池先生が代筆して下さった瀧井先生の批評と、

大暁のあとがきが並んでいます。

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瀧井先生の言葉が優しくて暖かくてなんだか泣けます。

あとがきからも分かるように、大暁は1962(昭和37)年から日記を書いています。

そのお陰で今、私がその日記を追うことができます。

何の因果か、私も一昨年から日記を書いていて、

書くこと、残すことの大切さを実感しています。

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余談ですが、おまけとして奥付を。

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発行日が、5月20日です。

5月20日といえば、大暁の誕生日です。

思い入れのある本だったということが、

こんなところにも隠されていますね。

※2022/6/7追記

澤田大暁作品集ではこんなページになっています。

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新聞記事が一緒にあったためこちらも掲載しておきます。

これをみると…

「きゅう・・・・きん・・・???」

となりました。

前述の通り「淦」に「きん」という読み方は無く

「きゅうかん」が正解のようなので

何かの手違いだったのか、間違えて教えてしまったのか

いずれにしてもここに出てしまったので

みんな勘違いしちゃったのかもしれませんね。

私は…まだ幼児(むしろ乳児)なので文字は読めてないと思います。

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『河東碧梧桐 ―俳句と書―』(1982(昭和57)年1月)