競書雑誌『習字』を購読されている方にはお馴染みの
澤田大暁句集『汲淦』です。
私はながらく「きゅうきん」と呼んでいましたが
淦に「キン」という読みは無いみたいです。
(「コン」か「カン」ならあるようです)
この本のタイトルは『淦(あか)を汲(く)む』という訓読だったのでは、
と今は思っています。
(※2022/5/31追記
読み方について筒井先生から教えて頂きました!
「キュウカン」が正しいそうです!謎が解けて嬉しいです。)
わが身の勉強の足らなさぶりが恥ずかしいです。
この写真もお馴染みですよね。
記録によれば、この写真は佐伯先生が撮影して下さったようです。
撮り直ししたり、白黒の写真を指定したり
けっこうこだわって撮ったようです。
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この本をお持ちの方はご存知でしょうが
本を開くと突然小池邦夫先生のお手紙が目に飛び込みます。
表と裏とにまたがって書かれてあります。
これは、そもそもは瀧井孝作先生に序文をお願いしていて、
ご自宅まで伺って依頼をしていたのですが、
先生の体調がお悪くて実現できなかったという経緯があります。
(瀧井先生は翌年1984(昭和59)年にお亡くなりになっています。)
びっくりする表紙の裏ですが、
逆に「なんだなんだ??」って読みたくなりますよね。
そして本文のすぐ前に、上の一文が書かれてあります。
私の祖母である輝子は
私が生まれるよりも前、というか
両親が結婚するよりも前に亡くなりました。
1978(昭和53)年のことです。
そのため私自身は会ったことがありません。
記録の中に出てくる祖母はとても働き者で、
家事だけでなく大暁の仕事も手伝ったり、
趣味のコーラスに勤しんだり、
友達と旅行に行ったり、
3人の子どもたちについて大暁と相談したり、心配したり、
大暁の視点から見た妻はいつも生き生きしています。
この句集にはそんな妻をはじめ、
家族のことも沢山書かれてあって、
なんだか日常を垣間見るような感じがします。
どこを例として載せようかな、と思った挙句
せっかくなので私が載っているところにしてみました。
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最後に、小池先生が代筆して下さった瀧井先生の批評と、
大暁のあとがきが並んでいます。
瀧井先生の言葉が優しくて暖かくてなんだか泣けます。
あとがきからも分かるように、大暁は1962(昭和37)年から日記を書いています。
そのお陰で今、私がその日記を追うことができます。
何の因果か、私も一昨年から日記を書いていて、
書くこと、残すことの大切さを実感しています。
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余談ですが、おまけとして奥付を。
発行日が、5月20日です。
5月20日といえば、大暁の誕生日です。
思い入れのある本だったということが、
こんなところにも隠されていますね。
※2022/6/7追記
澤田大暁作品集ではこんなページになっています。
新聞記事が一緒にあったためこちらも掲載しておきます。
これをみると…
「きゅう・・・・きん・・・???」
となりました。
前述の通り「淦」に「きん」という読み方は無く
「きゅうかん」が正解のようなので
何かの手違いだったのか、間違えて教えてしまったのか
いずれにしてもここに出てしまったので
みんな勘違いしちゃったのかもしれませんね。
私は…まだ幼児(むしろ乳児)なので文字は読めてないと思います。