『中島司有書作展』推薦文(1974(昭和49)年1月)

※クリックすると大きくなります

中島司有先生は何度か上野の森美術館で展覧会を開いていました。

この1974年、澤田大暁は作品集に推薦文を寄稿しています。

 

実は家で探したところ別の年の作品集しか見つけられず、

推薦文がどうしても読んでみたかったので

直接中島先生が創設した現代書道研究所に問い合わせをしました。

そうしましたら、現所長の佐伯司朗先生が直接お返事とこの画像をくださいました。

いろいろな方のお世話になっております。

本当にありがとうございます。

 

さて、この作品集の推薦文については、

この個展の2か月前、

11月12日に原稿用紙200字詰5枚にまとめて送ったという日記がありました。

この度ついにその内容をご紹介します。

※クリックすると大きくなります

どうですか。

しょっぱなからの「親友」呼びで驚きましたよね。

「あれ、こんなに近しい感じ?」

と個人的にはびっくりしました。

直接ご存知の方は当たり前なのかもしれないです。

私は面白いなと感心しました。

 

また、戦後すぐから認知していて、

昭和31年からのつながりだったことや、

中島先生が松山市にお住まいだったころに親しくなったことなど、

私の持っている日記の昭和37年よりも前の情報が手に入ったことが

とても有意義でした。

こんな風にまた別の原稿から

日記以前のことが分かる資料が発掘されてほしいと思います。

どこにあるかはまだ分かりませんが楽しみに調査を進めたいと思います。

沢田大暁の足跡一覧にもどる

中島司有「沢田大暁書作展に思う」(五禾書房『書道』第21巻7号(1975(昭和50)年7月))

五禾書房『書道』より中島司有「沢田大暁書作展に思う」(「習字」1976(昭和51)年9月号)

『別格本山西山興隆寺』看板(1971(昭和46)年8月17日)

※クリックすると大きくなります

8/17(火)
(合宿も)終りに近い頃、別格本山西山興隆寺の看板を書いてあげる。最後大沢和尚への別れのあいさつや大沢和尚のあいさつがあり、その時看板は永久に記念にしたいと述べてくれたことは生徒への気持も出ていた

澤田大暁は高校教師だった頃から毎年夏に

西条市丹原町にある西山興隆寺で合宿をしていました。

西山興隆寺公式ホームページはこちら

看板を書いているとあったので今どうなっているかと思い

お寺へ電話をかけてみたところ、

今は和尚さんが変わったためどの看板のことか把握していないのですが

看板であれば外にあるでしょうから

よければ実際に観に来てくださいとのことでしたので行ってまいりました。

 

※クリックすると大きくなります

駐車場に車を停めて、さっそく上り口から入ります。

最初に小さな橋があり、写真正面に見える石碑のところから

右手におれて登っていくようです。

※クリックすると大きくなります

右に曲がってすぐ、りっぱな門が姿を現しました。

ここ西山興隆寺は紅葉がとっても美しいらしいのですが

このあたりはまだまだ緑でした。(※2022年11月上旬)

そしてよーーーく見ると、

門の向こう側に恐ろしいほどの階段が…この時は見えていませんでした。

※クリックすると大きくなります

分け入っても分け入っても青い山、ならぬ

登っても登っても階段…

緑が多いので空気はとてもおいしく

ゼェゼェ言っていても体に入る空気は少し冷たくて

すがすがしい気持ちになります。

※クリックすると大きくなります

階段を覆うように木が生えていて、

緑のトンネルのようです。

多分紅葉シーズンに来たらすごくきれいだと思います。

※クリックすると大きくなります

登る間にたくさんの杉の巨木がありました。

そのうちの一本は昭和43年に枯れ木となったと書いてありました。

昭和43年ならば毎年合宿をしている頃なので、

この杉が枯れ木となる前後で

大暁は合宿をしていたのだなと感慨深く思いました。

そして、その枯れ木にこんなにもまた新しい命が芽吹き

土にかえっていっている時間が経ったのだとも思いました。

 

さて、ここからすこし上ったところ右手側に、

何かの入り口がありました。

※クリックすると大きくなります

みつけました!

この向かって右側の看板は、大暁の筆跡でしょう。

まだ本堂まではたどり着いていませんが

お目当ての看板を見つけてしまいました。

※クリックすると大きくなります
※クリックすると大きくなります

板の左側面にはちゃんと、「大暁書」の名が入っています。

風雨にさらされたせいで随分滲んでいますけれども

たしかにまだここに残っていました。

※クリックすると大きくなります

さて…

まだ階段は続いています。

見えにくいですが大きく写っている階段の左奥にもまだ階段が続いています。

ここまでだけでもかなりの階段を上ってきているので

着て来たコートはもう脱いでいるくらい暑いです。

しかし、せっかくなので本堂までは上ることにしました。

えっちらおっちら・・・・

 

上の方は木々が色づいて、

すでに黄色や赤の葉がたくさんありました。

※クリックすると大きくなります

そしてこの記事最初の画像、本堂に到着しました!

この本堂は階段上がって右手にあるのですが、

寝泊まりするってなるとここではなくて、

左手側にあるこの建物だったのかなと思います。

※クリックすると大きくなります

建物自体は変わっているかもしれないのでなんとも言えないのですが

母曰く階段の左だったような気がすると言っていたので

この場所にあったのかなと想像しています。

ちなみにこの左奥には塔が建っています。

(太陽の位置の関係で写真が撮れませんでした)

街灯などもほぼなさそうなこんな山奥では

夏とはいえ怖くなかったのかなと思いましたが

仲間と一緒ならさほど怖くもなかったのかなとか

毎年行くほどなのだからむしろ楽しかったのかなとか

いろいろ想像できました。

看板を見つけることができて本当に行ってよかったです。

 

追伸

行きがあるということは帰りもあるということで。

帰りもヒィヒィ言いながら降りました。

運転手の弟氏は膝が笑っていると言っていました。

沢田大暁の足跡一覧にもどる

『おおさか剣道かわら版』に名前を掲載していただきました☆

※クリックするとPDFが開きます。2ページ目をご覧ください。

公益社団法人大阪府剣道連盟が発行している広報誌

「おおさか剣道かわら版」11月号

パナソニックEW社剣道部の部旗「妙機」が特集されています。

この「妙機」という部旗は、

松山北高等学校剣道部の部旗からとって来たものらしく、

「妙機」の揮毫の経緯について取材を受けました。

(妙機の記事については以下にあります↓
 松山北高校剣道部「妙機」(1966(昭和41)年10月)

大したお話をできたわけではないので恐縮ですが

「最後に」に愛習研の名前も入れて下さりありがたいかぎりです。

妙機という旗がこういう風につながっていっていることが

純粋に嬉しかったです。

益々の御発展をお祈りいたします!

『子規遺墨』書籍編を推す(愛媛新聞1975(昭和50)年11月8日)

※クリックすると大きくなります

『子規遺墨』は、山上次郎氏が監修した

全三編(書跡編・絵画編・書簡編)の正岡子規の遺墨集です。

山上次郎氏は愛媛県出身の歌人、文筆家で

愛媛県議会議員も務めておられた方のようです。

.

大暁はご本人と友人関係にあったわけではなく、

愛媛新聞文化部の方から推薦文を頼まれてこの文章を書いたそうです。

日記によれば、大暁原稿で14枚書いたとか。

あ。

大暁原稿って知ってる人にしか通じないですよね。

200字詰めの原稿用紙で、左下に沢田大暁原稿って書いてあるんです。

うちにまだあります。

.

頼まれてから山上次郎さんの本をたくさん読み始めた様子で、

原稿が終わってからも本を買ってきては読んでいたようです。

.

【追記】大暁原稿の写真も載せておきます!↓

※クリックすると大きくなります

沢田大暁の足跡一覧にもどる

松山北高校門標(1975(昭和50)年6月)

※クリックすると大きくなります

愛媛県立松山北高校です。

※クリックすると大きくなります

前にこちらに伺った時から、

この門標の文字には見覚えがある気がするぞ、と思っていました。

どう見てもこれは大暁の筆跡だと思うなと思っていたところ、

それらしい記述を発見しました。

1975(昭和50)年4月2日
学校の門標文字をたくさん書く。
二時半まで書く。たくさんの中から4、5点選出しておく。

いつもなら「○○学校」と学校名を書くのに学校名がないので

これでまさかのここじゃなかったらショックなのですが、

1975(昭和50)年6月12日
松山北高校第5教棟が完成したので今日は式典があった。小生が門標を書いておいたがそれが出来たので写真を撮りに行く。鋳造は立派に出来ていた。

この記述を読んで、これは北高校の門標のことだと確信しました。

あー、発見できて良かったです。

これで、松山北高校は中島分校と両方の正門の門標を揮毫していることがわかりました。

最近は門標もフォントが増えましたけど、

鋳造の昔ながらの門標って良いですよね。

沢田大暁の足跡一覧にもどる

松山北高校文芸誌『たぎり』第24号(1966(昭和41)年) 

松山北高校70周年記念誌『回顧と展望』(1970(昭和45)年)

松山北高校剣道部「妙機」(1966(昭和41)年10月)

愛媛県立松山北高校中島分校正門(1973(昭和43)年3月)

松山北高校『閑吟』(1969(昭和44)年7月)

松山北高校生徒会誌『北斗』第15号(1969(昭和44)年)

松山北高校弓道場『正射必中』額(1974(昭和49)年2月)

松山北高校グループ旗(1967(昭和42)年~1990(平成2)年)

松山東高校、松山北高校寄贈『山部宿祢赤人至伊予温泉』歌

西古市集会所へ贈った漢詩(1974(昭和49)年12月)

東温市にある西古市集会所です。

この集会所の中に、大暁の半切作品が現在も飾られているという話を伺いまして、

さっそく撮影するべく行ってまいりました!

※クリックすると大きくなります

東温市の歴史民俗資料館の方、西古市集会所の方に大変お世話になりました。

ありがとうございました。

.

この作品は大暁が西古市の集会所を建て替える際に

東高時代の教え子であった元県議会議員の梅﨑雪男氏(現在は故人)から頼まれ、

西古市のために自作の漢詩を作って贈ったものです。

その後二度集会所は建て替えられたそうなのですが

現在の集会所にも変わらず掛けていただきありがたいです。

内容は、

「青山如旧友

 心髄野水清

 夕陽聞鳥語

 欣会西古市 大暁」

と書いてあります。

私の適当な漢文の翻訳では、

「青い山々は古くからの友人のようだ。
 野に湧く水の清いことが心の最も中心にある。
 夕暮れ時に鳥の語るのを聞く。
 西古市で会うことができて嬉しい。」

みたいな感じではないかと思うのですが間違っていたらすみません。

とにかく「自然が豊かで心も豊かになる西古市で会えて喜ばしい」

というような意味ではないかと思います。

.

伺った際に、梅﨑氏の奥様にもお会いすることができました。

玄関に大暁の作品を飾って下さっていてとても嬉しかったです。

ありがとうございました!

沢田大暁の足跡一覧にもどる

『森市太郎翁頌徳碑』(五柱神社)(1963(昭和38)年4月)

『教育広報』第72号(昭和49年)

※クリックすると大きくなります

そもそも『教育広報』という雑誌の存在を私は知らなかったので

調査してみて初めてこのような雑誌があったのかと驚きました。

昭和50年に退職した大暁にとって、

昭和49年というのは教員生活最後という

しめくくりの年だという意識があったように思います。

この雑誌に、以下のような随筆を寄せています。

※クリックすると大きくなります

1970(昭和45)年、金子鴎亭先生を団長とする日本代表書家訪欧団に参加し、

ヨーロッパを観て回った大暁は帰国後西洋美術についても調べ始めました。

スライドを作ったり、本を読んだり、

今でも家には画集などがたくさんあります。(大きい、そして重いのが!)

そういった刺激もまだまだ残っているような文章ですよね。

随筆というのは、まあ多少かっこつけているところはあるにしても、

考え方が分かって面白いです。

沢田大暁の足跡一覧にもどる

独学で臨書を初めてする方へ

※クリックするとAmazonのサイトに飛びます

「習字」誌では毎月高校部、一般半紙部の方向けに

臨書のお手本を掲載しています。

そこには誰の何という法帖を書いているのかも載せています。

しかしながら、昨日締め切りの昇段昇級試験で

指定した法帖の臨書を提出するにあたり

「これは一冊ずつ本を買うのでしょうか?」

「どこに売っていますか?」

などのご質問をいただきましたので

今日は独学で勉強している方向けに一冊ご紹介します。

(回し者ではありませんよ念のため)

.

臨書、というのは昔の能書(上手な書)を真似て書くことです。

臨書をする時、過去の上手な書をお手本にするのですが

それにはいろいろな種類があり、それぞれにストーリーがあります。

みんな違って、みんな良いです。

自分が書きやすいと思うものも、

書きにくいと思うものもあるでしょう。

どちらを選んでも良いのです。

「習字」誌に掲載している「参考手本」を見て

練習して下さってももちろん構いませんし、

その場合はもし必要であれば原寸大手本(コピー)を

有料(330円~)でお付けすることもできます。

(詳細は雑誌『習字」裏表紙付近にある取り扱い商品一覧をご覧ください。)

ただ、自由にいろいろな法帖を見てみたいと思った場合

何がどうなのか、初めは分かりませんよね。

.

そんな時、当会では上にあるピンクの本をおすすめしています。

こちらからAmazonで購入することもできますし

電話かメールかLINEでご連絡下されば当会から郵送することもできます。

(郵送料は別途実費かかります。)

いろいろな種類の法帖が一度に見られることと、

その最初に簡単な説明があることが特徴です。

もう少し慣れてきたら詳しい説明が掲載されているものや

全臨できるように全部掲載された1冊ずつの本が良いかもしれませんが

最初は有名な法帖が一度にざっと見られて

少しずついろいろ練習できる本がおすすめかなと思っています。

.

法帖にはそれぞれストーリーがありますので

慣れて来てもし歴史が好きな方でしたらそういう切り口から選んでも

面白いかなと思います。

臨書って言われるがままに書いてしまって

自分が今何を書いているのか分からなかったり、

種類がたくさんありすぎてハードルが高いように感じてしまったりするのですが

実際のところは背景が面白かったり

歴史を感じられたりするワクワクするものなので、

その最初のきっかけとして使ってもらえると良いなと思います。

また、何か質問などあればいつでも聞いて下さればと思っています。

『関東明教』第23号(2022(令和4)年5月)

※クリックすると大きくなります

今年の『関東明教』において

小池邦夫先生が大暁について書いて下さっています。

見開き2ページのうち、三分の一くらいを割いて

丁寧に書いて下さっていて嬉しかったです。

.

関東に住んでいたこともあったのに

この同窓会誌を購読したことが無かったのですが

表紙の文字や絵をはじめ、

知っている方の作品や文章が数多く掲載されていて

読んでよかったと思いました。

.

そして、快く1冊贈って下さった

関東支部の同窓会の方々に感謝致します。

そして、うっかり間違えて『明教』に問い合わせたにも関わらず

関東明教を調べて下さった担当の先生にも感謝しています。

みんな優しい…

本当にありがとうございました!

沢田大暁の足跡一覧にもどる

松山東高校内『明教館』にある『六曲屏風』(1952(昭和27)年)

松山東高校、松山北高校寄贈『山部宿祢赤人至伊予温泉』歌