西古市集会所へ贈った漢詩(1974(昭和49)年12月)

東温市にある西古市集会所です。

この集会所の中に、大暁の半切作品が現在も飾られているという話を伺いまして、

さっそく撮影するべく行ってまいりました!

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東温市の歴史民俗資料館の方、西古市集会所の方に大変お世話になりました。

ありがとうございました。

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この作品は大暁が西古市の集会所を建て替える際に

東高時代の教え子であった元県議会議員の梅﨑雪男氏(現在は故人)から頼まれ、

西古市のために自作の漢詩を作って贈ったものです。

その後二度集会所は建て替えられたそうなのですが

現在の集会所にも変わらず掛けていただきありがたいです。

内容は、

「青山如旧友

 心髄野水清

 夕陽聞鳥語

 欣会西古市 大暁」

と書いてあります。

私の適当な漢文の翻訳では、

「青い山々は古くからの友人のようだ。
 野に湧く水の清いことが心の最も中心にある。
 夕暮れ時に鳥の語るのを聞く。
 西古市で会うことができて嬉しい。」

みたいな感じではないかと思うのですが間違っていたらすみません。

とにかく「自然が豊かで心も豊かになる西古市で会えて喜ばしい」

というような意味ではないかと思います。

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伺った際に、梅﨑氏の奥様にもお会いすることができました。

玄関に大暁の作品を飾って下さっていてとても嬉しかったです。

ありがとうございました!

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『森市太郎翁頌徳碑』(五柱神社)(1963(昭和38)年4月)

『教育広報』第72号(昭和49年)

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そもそも『教育広報』という雑誌の存在を私は知らなかったので

調査してみて初めてこのような雑誌があったのかと驚きました。

昭和50年に退職した大暁にとって、

昭和49年というのは教員生活最後という

しめくくりの年だという意識があったように思います。

この雑誌に、以下のような随筆を寄せています。

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1970(昭和45)年、金子鴎亭先生を団長とする日本代表書家訪欧団に参加し、

ヨーロッパを観て回った大暁は帰国後西洋美術についても調べ始めました。

スライドを作ったり、本を読んだり、

今でも家には画集などがたくさんあります。(大きい、そして重いのが!)

そういった刺激もまだまだ残っているような文章ですよね。

随筆というのは、まあ多少かっこつけているところはあるにしても、

考え方が分かって面白いです。

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独学で臨書を初めてする方へ

※クリックするとAmazonのサイトに飛びます

「習字」誌では毎月高校部、一般半紙部の方向けに

臨書のお手本を掲載しています。

そこには誰の何という法帖を書いているのかも載せています。

しかしながら、昨日締め切りの昇段昇級試験で

指定した法帖の臨書を提出するにあたり

「これは一冊ずつ本を買うのでしょうか?」

「どこに売っていますか?」

などのご質問をいただきましたので

今日は独学で勉強している方向けに一冊ご紹介します。

(回し者ではありませんよ念のため)

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臨書、というのは昔の能書(上手な書)を真似て書くことです。

臨書をする時、過去の上手な書をお手本にするのですが

それにはいろいろな種類があり、それぞれにストーリーがあります。

みんな違って、みんな良いです。

自分が書きやすいと思うものも、

書きにくいと思うものもあるでしょう。

どちらを選んでも良いのです。

「習字」誌に掲載している「参考手本」を見て

練習して下さってももちろん構いませんし、

その場合はもし必要であれば原寸大手本(コピー)を

有料(330円)でお付けすることもできます。

ただ、自由にいろいろな法帖を見てみたいと思った場合

何がどうなのか、初めは分かりませんよね。

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そんな時、当会では上にあるピンクの本をおすすめしています。

こちらからAmazonで購入することもできますし

電話かメールかLINEでご連絡下されば当会から郵送することもできます。

(郵送料は別途実費かかります。)

いろいろな種類の法帖が一度に見られることと、

その最初に簡単な説明があることが特徴です。

もう少し慣れてきたら詳しい説明が掲載されているものや

全臨できるように全部掲載された1冊ずつの本が良いかもしれませんが

最初は有名な法帖が一度にざっと見られて

少しずついろいろ練習できる本がおすすめかなと思っています。

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法帖にはそれぞれストーリーがありますので

慣れて来てもし歴史が好きな方でしたらそういう切り口から選んでも

面白いかなと思います。

臨書って言われるがままに書いてしまって

自分が今何を書いているのか分からなかったり、

種類がたくさんありすぎてハードルが高いように感じてしまったりするのですが

実際のところは背景が面白かったり

歴史を感じられたりするワクワクするものなので、

その最初のきっかけとして使ってもらえると良いなと思います。

また、何か質問などあればいつでも聞いて下さればと思っています。

『関東明教』第23号(2022(令和4)年5月)

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今年の『関東明教』において

小池邦夫先生が大暁について書いて下さっています。

見開き2ページのうち、三分の一くらいを割いて

丁寧に書いて下さっていて嬉しかったです。

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関東に住んでいたこともあったのに

この同窓会誌を購読したことが無かったのですが

表紙の文字や絵をはじめ、

知っている方の作品や文章が数多く掲載されていて

読んでよかったと思いました。

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そして、快く1冊贈って下さった

関東支部の同窓会の方々に感謝致します。

そして、うっかり間違えて『明教』に問い合わせたにも関わらず

関東明教を調べて下さった担当の先生にも感謝しています。

みんな優しい…

本当にありがとうございました!

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松山東高校内『明教館』にある『六曲屏風』(1952(昭和27)年)

松山東高校、松山北高校寄贈『山部宿祢赤人至伊予温泉』歌

伏見冲敬先生の『習字』誌での連載(『書学散策』昭和55年6月号~昭和56年2月号)

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我が家でいつも使っている角川書道字典の伏見冲敬先生は、

一時期『習字』誌で連載して下さっていたことがあります。

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現在でも、これを臨書しなさいと言われたから、とか

有名な法帖と言われたからというだけで

何も分からぬままに字だけを追ってしまうことはよくあることです。

そんな(私も含めた)あなたのために!

十七帖の法帖の内容についてゆっくりと解説してくださっています。

今読み返してみてもとても面白い記事です。

平易に書いて下さっているので分かりやすく、

また他の法帖についても調べてみたいと思う内容になっています。

こういう情報って必要だなと思います。

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この連載は、先生の体調不良により全8回で突然終わってしまうのですが

もっともっと読みたかったなと思う連載でした。

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大暁の始まりの師、三宅木兎先生

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明日6月15日から19日(日)まで、

愛媛県美術館2階特別展示室において

第23回いろどりの書作展が開催されます。(詳細はこちら)

一昨年はコロナでできなかったこと、

昨年はまだまだ人をそんなに呼べるような上京じゃなかったことから、

今年は久し振りに大々的に呼びかけられる展覧会となりました。

 

そこで今回、ちょうど筒井先生から三宅先生のかなの半切作品を頂いたので

大暁のかな作品と並べてちょっとしたコーナーを作り、

展示することにしました。

 

大暁のはじまりは教員生活初年度、

湯築尋常小学校で校長先生から習字の担当に指名されたことでした。

その同じ年の昭和10年に、愛媛師範学校へ赴任してきたのが

当時32歳の三宅木菟(本名:武夫)先生でした。

つまりは学生時代にお世話になっていたわけではないということです。

そして愛媛師範学校に教員として赴任する前の昭和16年に

自身の故郷である岐阜師範学校へ転勤して行っています。

(大暁が愛媛師範学校に赴任したのは昭和18年です)

ちょうど大暁が文検を目指して三宅先生を訪ね、

勉強している間だけ愛媛におられた先生ということになります。

 

人との出会いというのはこういうご縁なのかもしれないですね。

展示の際に展覧会場で三宅先生のかなと

大暁のかなを並べて見て、似ているところを感じました。

 

三宅先生に教わり、三宅先生が比田井天来先生の弟子(自称?)だったことから

大暁は手島先生と出会うことになります。

人とのつながりがまずあって、

そこから数珠繋ぎにどんどん世界が広がっていくさまは

もうご縁としか言いようがないですよね。

その起点が観られる展覧会だと思います。

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足跡には入らないけれど…

仕事の足跡としてご紹介はできないのですが、

玄関の門札と墓石の依頼はかなり多いです。

もちろん「澤田家之墓」も大暁が書いていますが

それだけでなく頼まれては書いています。

門札の方は依頼があったけれど取りに来ていないのか?

いくつか書いた札がそのまま家にあります。

お墓も、例えば田中忠夫先生のお墓など書いていますけれど

人のお墓の写真を勝手に撮るのもなと思いますし

玄関先の札を撮ったとしてもご紹介となるとちょっとなー…ってことで

事実はあれどもご紹介はできずです。

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今となっては自分の家の墓石を誰が書いたかなんて

知らない方も多いかもしれませんけれど、

フォントの文字じゃないという場合は

誰がいつ頼んだのかなど気にしてみると

そこから家族の歴史が垣間見えて来て面白いかもしれません。

吉野義子著「鶴舞」(中央公論社)(1976(昭和51)年7月)

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吉野義子さんの句集『鶴舞』です。

吉野義子著「はつあらし」(中央公論社)(1971(昭和46)年9月)に続き、

こちらでもタイトル文字を書いています。

表面がザラっとした銀色の装丁が綺麗ですね。

シンプルながらお洒落な雰囲気です。

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前の『はつあらし』の文字より

個人的にはこっちの文字の方が好きです。

容赦なく愛媛県立図書館蔵書の印が捺されちゃってますけど笑

前回の赤い紙と違ってこちらは白い紙だからかもしれませんが、

この作品はなんだか本自体に高級感をあたえている気がします。

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吉野義子著「はつあらし」(中央公論社)(1971(昭和46)年9月)

『続 愛媛の文学散歩』(愛媛新聞 1973(昭和48)年7月16日)

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読めるでしょうか…心配です。

以前ご紹介した

秋田忠俊著『愛媛の文学散歩』(1967(昭和42)年4月)

の続編である『続 愛媛の文学散歩』です。

こちらのタイトル文字も大暁が書いているのですが

それだけでなく今回は紙面に登場しているのでこちらをご紹介します。

この中にある『翁草』の部分は

『太陽』10月号-No.52(1967(昭和42)年9月)

でご紹介した「松山の三つの寺」の文章です。

この『太陽』の文章は『翁草』という本の中に入っているということで

タイトルの下部分に『太陽』からの文章を転載しているようです。

この記事の中には、

松山北高校文芸誌『たぎり』第24号(1966(昭和41)年) 

の話や、

龍眠会特集の『墨美』159号(1966(昭和41)年6月)

愛媛新聞『碧梧桐座談会』(1967(昭和42)年4月30日)

などの話が出てきます。

こう見ると瀧井先生とのご縁は碧梧桐を通してとはいえ

とても深いように感じられます。

個人的にはこの記事に二人のツーショットが載っていることが

なにより嬉しいところでした。

背景の松山城と桜がとてもきれいですね。

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