そもそも『教育広報』という雑誌の存在を私は知らなかったので
調査してみて初めてこのような雑誌があったのかと驚きました。
昭和50年に退職した大暁にとって、
昭和49年というのは教員生活最後という
しめくくりの年だという意識があったように思います。
この雑誌に、以下のような随筆を寄せています。
1970(昭和45)年、金子鴎亭先生を団長とする日本代表書家訪欧団に参加し、
ヨーロッパを観て回った大暁は帰国後西洋美術についても調べ始めました。
スライドを作ったり、本を読んだり、
今でも家には画集などがたくさんあります。(大きい、そして重いのが!)
そういった刺激もまだまだ残っているような文章ですよね。
随筆というのは、まあ多少かっこつけているところはあるにしても、
考え方が分かって面白いです。