1982年(昭和57年)の墨36号に、
8ページにわたって高浜虚子と河東碧梧桐について
執筆させていただいています。
この頃の日記には、校正を郵送でやり取りしている様子が書かれてあり、
こちらからは毎回速達で送っていることが伺えます。
こういった研究では毎回全国を車で飛び回って作品の写真を撮り、
こまめに整理してはまとめていたようです。
退職していたとはいえ忙しかったはずなのに、
時間というのは捻出すればあるものなんだなと
改めて私もちゃんと生きようと思いました。
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生活の中に生きる 書
1982年(昭和57年)の墨36号に、
8ページにわたって高浜虚子と河東碧梧桐について
執筆させていただいています。
この頃の日記には、校正を郵送でやり取りしている様子が書かれてあり、
こちらからは毎回速達で送っていることが伺えます。
こういった研究では毎回全国を車で飛び回って作品の写真を撮り、
こまめに整理してはまとめていたようです。
退職していたとはいえ忙しかったはずなのに、
時間というのは捻出すればあるものなんだなと
改めて私もちゃんと生きようと思いました。
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沢田大暁の足跡シリーズ。
瀧井孝作『俳人仲間』(1973(昭和48)年10月15日発行 新潮社)です。
初版本を頂いたようです。
3枚目の右ページに沢田大暁が登場していますのでご注目ください。
瀧井先生とは親交があり、松山に来られた際には自宅にも泊まりに来てくださったと
この後のページに詳細な記述があります。
また、別の随筆にも登場するようで、
東京と愛媛という離れた場所に住んでいながらも近しい
付き合いがあったことが分かります。
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2013年に惜しまれつつ閉校になってしまった
中山高等学校の題字を沢田大暁が書いていました。
今は未来高等学校に変わっている…のでしょうか?
中山高校がなくなるとき、広報いよし(平成25年3月1日号)の背景に写っていました↓
(赤い枠は私がフリーハンドで上から書いたためちょっと汚くてすみません)
卒業生の方なら
「あーあれか!」
と思うかもしれませんね。
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こんな感じで学校などの文字も書いています。
また他も挙げますのでお楽しみに!
今度は、今もあるものにしたいなと思っています。
(※2022/10/28追記)
愛媛県立中山高校にはこの当時(昭和50年)
佐伯蔵先生という校長先生がおられました。
佐伯蔵先生といえば、松山北高校の時代に
を依頼した先生です。
その後もずっとお付き合いがあり、
中山高校の卒業証書を書いたこともありました。
そのような経緯があってこの看板制作になったことと思われます。
依頼が昭和50年12月にあり、
翌51年の1月に揮毫したようです。
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(※2023/05/25追記)
旧中山高校へお邪魔する機会を頂きまして、
先日、現状を写真に撮影することができました。
校章と校名がうっすら残っていましたが、物はなくなってしまっていました。
こうやって形を失っていくんだなと諸行無常を感じました。
だからこそ今のうちにいろいろ残していかなくちゃ、と
また気持ちを新たにすることができました。
近づくとはっきりその形を観ることができます。
これだけ跡が残るほどの長い期間、ここに掲げられていたのだと改めて思いますね。
我が家の本棚にはあふれんばかりの本があるのです。
こちらは雑誌「墨美」164号。
ちなみに墨美は創刊号から200号以上保管してあります。
雑誌って、意外と貴重なんですよね。
大学院の頃に雑誌の複写依頼をたくさんしてきたので
家にこんなにあるとなると宝の山のようです。
逆にいえば大学院に行かなければこの貴重さが分からなかったとも思いますけれど。
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さて、この「墨美」164号は河東碧梧桐の特集で、
大暁が座談会に参加しています。
碧梧桐の研究をしていたことは知っていても
どこでどんな活動をしていたのか、
孫の私にははっきりと分からないことが多いです。
少しずつ本棚を探検して、
研究内容についてどんなことを語っていたのか調べています。
少しずつ大暁の興味が伝わってくると同時に、
私自身の勉強になって面白いです。
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※2022/4/22追記
この『墨美」の記事について書かれてある
愛媛新聞(昭和41年12月16日)を見つけました。
碧梧桐の書風の変化を四つに分けることを考えたのは
瀧井先生だったように思いますが、
それをもとにして年譜を作ったり、
それを瀧井先生にお見せして確認を取ったり、
このあたりの大暁の日記は碧梧桐の調査・研究について多く語られています。
親族の方に作品をみせていただき写真を撮ってそれを現像に出すなど、
調査を楽しそうにしている様子が伝わります。
また、この雑誌が発刊されてから、
いろいろな方に贈呈しているところを見ると
とても嬉しかったんだろうなと想像できて
読んでいるこちらも嬉しくなります。
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大正 4年 5月20日生まれ
昭和 3年 松山市立新玉小学校卒業
昭和 5年 松山市立松山高等小学校卒業
昭和10年 愛媛師範学校本科一部卒業
道後小学校訓導
昭和11年 三宅木兎に師事
昭和14年 文部省書道文検合格
昭和18年 愛媛師範学校助教授
昭和23年 手島右卿に師事
昭和25年 愛媛大学退職
昭和26年 松山東高等学校教諭
日本書作院展第三席
昭和27年 日本書作院展(鈴木翠軒会長)最高賞
月刊『習字』誌創刊(現在も継続)
日展入選(連続六回入選以後不出品)
独立書人団常任理事審査員
昭和32年 個展(三越松山支店)
昭和41年 松山北高等学校教諭
昭和43年 毎日展準大賞(会員推挙)
玄青会結成主宰す
昭和44年 外務省主催第一回欧州巡回展出品
昭和45年 日本代表書家訪欧団参加
(パリ チェルニスキー美術館にて
モダンアートフェスティバル参加)
昭和46年 毎日展審査員
昭和50年 愛媛県教職員選賞受賞
毎日展審査員
還暦個展(愛媛県立美術館)
昭和54年 毎日書道芸術友好訪中団長
昭和57年 著書「河東碧梧桐-俳句と書」(東京堂出版)出版
日本「少字数」書法展覧会出品(於:北京)
毎日書道芸術友好訪中団長
昭和58年 毎日現代書百人展出品
毎日書道芸術友好訪中団長
句集「汲淦」(角川書店)出版
個展(愛媛県立美術館)
昭和60年 古稀展(東京銀座文芸春秋画廊・いよてつそごう)
平成 5年 喜寿展(東京銀座鳩居堂・愛媛県立美術館)
平成17年 11月12日没
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今、競書雑誌「習字」70周年に向けて、
昔の資料をあれこれ集めています。
これは愛媛新聞の昭和61年11月15日付に掲載された
番町小学校創立100周年の記念記事です。
この像は正門を入ってすぐ左手にあるのですが、
この像の土台にある「旅たち」という文字を
沢田大暁が揮毫しています。
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この像は知ってたのですが、
この人は正岡子規さんだったと初めて知りました。
卒業生の方ならご存じだったのでしょうか。
昔の新聞は面白くて、
当時のニュースがひとつひとつ懐かしいです。
例えば、この月の新聞には
「来年度開校予定の松山中央高校が…」
という記事があったり、
「今、迷路がブーム!」
という見出しがあったりで、
そういえば自分が入って楽しむ迷路があったなとか、
そういえば中央高校がまだできてないのかとか、
そういえばそうだった!同じ時期だったんだと気づかされます。
紙っていうのは形に残るから良いのだなと改めて感じました。
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で、本当は全然違う記事を探していたのですが、
そっちは残念ながら見つかりませんでした笑
まぁそういうこともありますよね。
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