南海放送『サンデー9』(1973(昭和48)年2月25日)

大暁は愛媛県の地元テレビ局南海放送に出演したことがあります。

昭和48年にはまだ家庭用録画機が普及しておらず、
(調べたところベータの登場は1975年、VHSが1976年のようです)

南海放送に問い合わせをしても今はもう保存していないという返答で

諦めておりましたが、

ある方がなんとその時の放送を写真に撮って下さっており、

それを頂くことができました!!

本当にありがとうございました。

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1月22日(月)
南海放送の土居放送部長が訪ずれて来る。
来る2月26日(※原文ママ)の碧梧桐生誕記念日に一時間テレビに出て欲しいとのことで打合せに来る。

実際の放送は25日でしたが、この時日記にはこんな感じで書かれてありました。

ちなみに生放送ではなくて録画放送だったようです。

2月13日(火)
土居南海放送事業部長が来る。
来るサンデーナインに小生が出る件につき打合せがあった。碧梧桐を中心にして其の間に生徒の習字を入れる。

この日記をただ読んでいると「どういう番組??」となりますが、

一時間の長丁場となると

途中で目線を変えるものが必要だったのかなと思います。

2月21日(水)
午前中は俳句の選出に努力した。明日放送する(※原文ママ)碧梧桐の俳句について十句選ぶ。
なかなかむつかしい。時代時代の特徴をつかまないといけないので…

2月22日(木)
南海放送にて録映。
10名の生徒の習字とか作品批評とかが主で碧梧桐は時間が少いので自分としては不満であるが…

時間の配分についてのようですね。

今であれば編集でいろいろ時間の配分は変わる気がします。

当時はどうだったんでしょうね。

2月25日(日)
南海放送サンデーナインに出る。
午前九時から一時間南海放送にてサンディーナインの番組があり、それに小生が碧梧桐(明日が生誕百年)のことと、県下から集めた十名(東中南)の小中学生の画仙紙への書写、県下から集めた習字作品の陳列、小生の批評などを放送する。
よく出来ていたようだ。

ブラウン管のテレビが懐かしいですね。

左から一枚目は、以前ご紹介した

松山東高校内『明教館』にある『六曲屏風』(1951(昭和26)年)

です。

真ん中と右側は大暁の写真です。

番組の様子が分かりますね。

クリックするとちょっとだけ大きくなります。

2023/04/12追記

1枚追加で頂いたのでこちらもご紹介しておきます。

※クリックすると大きくなります

松山北高校に寄贈した『閑吟』の作品のようです。

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松山東高校内『明教館』にある『六曲屏風』(1951(昭和26)年)

松山北高校『閑吟』(1969(昭和44)年7月)

愛光学園内『田中忠夫先生像』(1982(昭和57)年11月3日)

※クリックすると大きくなります

愛光学園の正門から校舎に向かって歩く途中に

移設された田中忠夫先生像があります。

この像はもともとは古い正門の入ってすぐ左手にあったものですが、

正門をロータリーにするのに伴ってこちらに移動してきたそうです。

近づくとこんな感じです。

※クリックすると大きくなります

分かりやすく大暁の文字ですね。

そしてこの胸像は伊藤五百亀先生によって造られています。

この二人といえば、

愛媛大学教育学部附属中学校内『行く河』像裏書き(1981(昭和56)年11月)

↑こちらでご紹介した『行く河』の像と同じですね。

違うのは、この像では大暁が表面の文字も書いているところでしょうか。

※クリックすると大きくなります

像の方には背中に大きく伊藤先生のサインが入っていました。

下の文字は、ちょっと薄くなっていますが、ちゃんと読める状態でした。

拡大したものも掲載しておきますね。

※クリックすると大きくなります

書いてある文字を読んでみました↓

   愛光百年の礎を確立した初代校長
   田中忠夫先生の功績は至大である
   創立三十周年に当り同窓生相集い
   て先生を偲び遺徳を永く後世に伝
   えんとするものである
    昭和五十七年十一月三日
         撰 文 門屋 方典
         像作者 伊藤五百亀
         書   澤田 茂雄
         贈 愛光学園同窓会
 

大暁は田中先生と親しくしていただいておりましたので、

関連リンクが下部にあります通り愛光学園内にはたくさんの文字があります。

また、愛光学園だけでなく、松山大学にもたくさん残っています。

(田中先生が愛光学園の前に松山大学の学長をしていた為です)

二人の出会いについては資料が残っていませんが

今の松山大学に田中先生がおられた当時、大暁も今の愛媛大学の助教授でしたので

その辺の繋がりかな、と想像しています。

新校舎となっても生徒たちを見守っている像をみて

嬉しくなりました。

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愛光学園正門(1972(昭和47)年)

愛光学園内『日野荘氏 顕彰碑』(昭和53年3月)

愛光学園生誕地の石碑(1978(昭和53)年3月)

愛光学園二期生『にぎわい』リレーマラソン(1986(昭和61)年10月)、(『習字』1986(昭和61)年12月号)

松山大学『三恩人』の胸像(1963(昭和38)年8月)

松山大学の正門(1965(昭和40)年6月)

松山大学御幸キャンパス(1985(昭和60)年)

松山大学御幸キャンパス『彰廉館』門標(1997(平成9)年3月)

【大暁の足跡】『文化愛媛』第86号に掲載していただきました☆

※クリックすると大きくなります

愛媛県文化振興財団さんが毎年発行している

『文化愛媛』第86号に私の大暁の足跡についての記事を掲載して頂きました!

これは雑誌『習字』をご購読のみなさまには

すでにお伝えしておりました通り

この足跡巡りの中で『文化愛媛』創刊号に

大暁が寄稿しておりました。

その件をこのホームページで発表したことがきっかけで↓

(参考 : 『文化愛媛』「河東碧梧桐の短詩」創刊号(1982(昭和57)年1月)

あれよあれよといううちに今回の寄稿に繋がりました。

いやはや、本当にご縁ってあるものですね。

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※クリックすると大きくなります

↑記事はこちらです。

これを書いていたのはずいぶん前のことなのですが、

今思い返してみても

800字に書きたいことを全部入れようとすると

しっちゃかめっちゃかになってしまって何も伝えられないとか、

狭く深くにするにしてもどこを切り取るのか悩んだりとか、

初めての人にも意味が分かるかな思ったりとか

自らの文才に絶望したりもしましたし

とにかく世の中の文筆家の方々を心底尊敬しました。

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今思えば楽しい時間でしたね。

.

そして、同じくおじいさまの足跡を辿っておられた

河鰭万里さんの記事を読んで、

『私も本を書くしか…!』

と思った次第でございます。

(出し方は全く分かりませんが)

.

『文化愛媛』は愛媛にゆかりのある古いものにフォーカスしていて

「こういうものもあったのか」

「地元にいるのに意外と知らないもんだな」

と思わされるものばかりの記事でした。

現在、愛媛県県民文化会館1F受付(第一事務室)ほか、

アテネ書店竹原店、ジュンク堂松山三越店、愛媛大学生協、

愛媛県庁売店、愛媛県歴史文化博物館ミュージアムショップで販売しています。

各書店でもお取り寄せできます。

その際は「愛媛県教科図書」もしくは「地方小出版センター」の取扱品とお申し付けください。

おすすめの記事ばかりでしたので

この中に入れていただけで光栄です!

ぜひ読んでみてください☆

【学生書道展】たくさんの御来場ありがとうございました!

第70回愛媛県学生書道展は

2/12(日)に盛会にて終了いたしました。

今年は愛媛マラソンと日程がかぶってしまい

いろいろとご心配、御迷惑をおかけしたことと思いますが

のべ950人を超えるご来場者がありました。

ありがとうございました!

たったの2日で1000人近くの方に来ていただけたとは、

けっこうすごいことなんじゃないかと個人的に思っています。

これもひとえにご協力いただきました皆様のおかげです。

ありがとうございます。

 

また、来場者プレゼントのクリアファイルや

まちがい探しの賞品など、

受け取った方が喜んで下さっていたようで嬉しかったです。

 

今後もまた次の10年を頑張りたいと思います。

ぜひよろしくお願い致します!

【学生書道展】筆まめチョイスについてnoteにアップしました!

↑弊社マスコットキャラクター「筆まめ小僧」

明日(もう今日)から愛媛県美術館南館で
第70回愛媛県学生書道展が開催されます。
その中で、2年前から始めた企画である
「筆まめチョイス」があるのですが
それがどういうことなのか説明したnoteの記事をアップしました。

創業者澤田大暁の教え子の中に
絵手紙の小池邦夫先生や墨絵イラストレーターの茂本ヒデキチ先生がおられることからも分かるように、
そもそも大暁は複数の評価軸を持って作品を評価することができる人でした。
その理念を受けついで、2年前から始まった「筆まめチョイス」を
御来場の皆様に楽しんでいただけたらと思っています。

そして!選ばれた方は賞品がありますので
受付にぜひ申し出て下さい☆

リンクはこちら↓

https://note.com/aishuken/n/ncea5e8bc9519