先日松山市立新玉小学校へ
を見せていただきに参りました際に、
第五尋常小学校の門がまだあると校長先生がご厚意で案内して下さいました。
大暁が松山第五尋常小学校を卒業したのは、
昭和3年3月のことです。
その翌年(昭和4年4月)には「新玉尋常小学校」と校名が変更されました。
新玉小学校は昭和11年に火事で校舎が消失したり、
松山大空襲(昭和20年7月26日)で焼失したりしたのですが、
校門だけは残ったと、新玉小学校の校庭の隅に移築してありました。
レンガ造りの立派な門で、歴史の重みを感じました。
実際に大暁が通った頃にもこの同じ門があり、
戦火(戦禍というべきか)も潜り抜けてきたのだと思うと
この門を置いておいてくださったことに感謝したい気持ちになりました。