愛媛の書五十五人展(1977(昭和52)年9月)

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1977(昭和52)年9月20日から25日まで、

松山三越三階特設会場で愛媛の書五十五人展が開かれ、

その時に作られたのがこの冊子です。

こういう書道展の冊子を全部ご紹介するのはさすがに無理があるのですが

こちらの冊子にはコメントが掲載されていたので

ちょっと特別にご紹介することにしました。

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コメントを読むのって楽しくて好きなんですよね。

その時の気持ちとか、考えとかが垣間見える気がするんです。

あと、ちょっとした言い回しとかに性格が出ちゃうところも。

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さて、この「愛媛の書五十五人展」の開展の際の事を

大暁は細かく書き残しています。

この日は朝から天気がとてもよく、

持田の家から三越まで歩いて出かけたそうです。

開会のあいさつでは愛媛新聞社社長が東京出張だったため

中村専務取締役が行い、県知事の代読を乗松愛媛県美術館長が行い、

そしてその後、満を持して(?)

書家を代表して大暁が挨拶をしたのだそうです。

それからその三人で開展のテープカットを行ったとか。

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これだけ細かく書いているということは、

きっと忘れたくない嬉しい記憶だったのかなと思います。

書いてはいないけれどうっすら見える嬉しい気持ちが伝わります。

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さて、この冊子の大暁のコメントがこちらです↓

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—-コメントここから—-

 広い無限の空間の中に生きている証(あかし)として、また人生の表象として「心」の素材を選んだ。
 心には複雑な内容があり、働きがある。この心を素材としての表象はなかなかむつかしい。ただ私は、人生を深めようとする努力の道程標のつもりであった。
 日常生活の中に、また自然との対話の中に、感動の渦(うず)が拡がり、その執念の深まりを長く温存して来たものであった。もちろん素材は何であってもよかったが、「心」が最も良い素材となったに過ぎない。
 不器用な私の技術では、如何(いかん)ともしがたいものがあって、白と黒の親和や、力の調和がかもし出されているかどうかなどが疑問である。しかしそれは、時間解決してくれるだろう。

—-ここまで—-

確かに難しそうな素材を選んでますよね。

というか話がめちゃくちゃ壮大ですよね。

大げさで壮大なように思える

そういう作品作りができるって面白いだろうなと思いますし

きっとそういう気分で他の人の作品とも対峙していたんだろうなと思います。

素直に、そして純粋にその作品と対峙するって

実はかなり難しいことだと思うのですよ。

特に大人にはね。

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この「心」は濃すぎず、薄すぎない墨色で、

だんだんと右上がりになるように書いているように思えます。

そして薄いにじみが広くあって、ところどころに濃い色があります。

拡がりのある配置に濃淡で深みを出しているところに

波のうねりのような印象を受けました。

濃い部分が渦の底で、うねりの中にいくつもの渦があるところに

人間の複雑性を思わせるようなそんな感じがします。

これは私の勝手な解釈ですが、皆さんの解釈はどうですか?

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あ、最後に、

この展覧会は毎日千人以上の来場者があり、大成功に終わったそうです。

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