『松山百点』という雑誌は現在も隔月で発行されており、
2022年現在のロゴは三代目ですよね。
初代の松山百点のロゴを沢田大暁が書いていましたので
今日はこれをご紹介したいと思います。
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この文字は特徴的なので、
この時代の松山百点をご存じの方だったら
見たことあるなと感じて下さると思います。
こういった書体は主に『六朝書』と呼ばれ、
河東碧梧桐もこういった書体で書いていました。
『六朝書』という言葉は大暁の残した文章の中にも度々登場します。
簡明 書道用語辞典(伊藤文生編 天来書院 2017年)によると、
『六朝時代の書。ただし、北魏を主とする北朝の書をいう。』
とあります。また、同じ辞典で『六朝』をひくと、
『後漢の滅亡後、隋の統一まで建業(現在の南京)に都した
呉・東晋・宋・斉・梁・陳の六王朝』
とあります。
北魏の書というとどうも龍門の石窟の印象が強いですが、
河東碧梧桐とか中村不折とかの作品のイメージということだと思います。
(めっちゃ大雑把です。専門で研究されてる方ごめんなさい)
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この松山百点の創刊号について、
愛媛タイムス(1965(昭和40)年4月5日号)で記事を見つけたのでこちらもご紹介します。
この記事については記録が残っていて、
新聞が出た時に鴻池先生から大暁に電話を頂き、
表紙の書を褒めていたと教えてくださって
本人(大暁)も読んでみてすごく喜んだそうです。
銀座百点のイメージはそのままに、
それを六朝風の書として昇華させることで
松山らしさも表現できていると私も思います。
今はこのロゴではありませんけれど、
印象的なこの文字をぜひ観ていただきたくてここに掲載いたしました。