独学で臨書を初めてする方へ
「習字」誌では毎月高校部、一般半紙部の方向けに
臨書のお手本を掲載しています。
そこには誰の何という法帖を書いているのかも載せています。
しかしながら、昨日締め切りの昇段昇級試験で
指定した法帖の臨書を提出するにあたり
「これは一冊ずつ本を買うのでしょうか?」
「どこに売っていますか?」
などのご質問をいただきましたので
今日は独学で勉強している方向けに一冊ご紹介します。
(回し者ではありませんよ念のため)
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臨書、というのは昔の能書(上手な書)を真似て書くことです。
臨書をする時、過去の上手な書をお手本にするのですが
それにはいろいろな種類があり、それぞれにストーリーがあります。
みんな違って、みんな良いです。
自分が書きやすいと思うものも、
書きにくいと思うものもあるでしょう。
どちらを選んでも良いのです。
「習字」誌に掲載している「参考手本」を見て
練習して下さってももちろん構いませんし、
その場合はもし必要であれば原寸大手本(コピー)を
有料(330円)でお付けすることもできます。
ただ、自由にいろいろな法帖を見てみたいと思った場合
何がどうなのか、初めは分かりませんよね。
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そんな時、当会では上にあるピンクの本をおすすめしています。
電話かメールかLINEでご連絡下されば当会から郵送することもできます。
(郵送料は別途実費かかります。)
いろいろな種類の法帖が一度に見られることと、
その最初に簡単な説明があることが特徴です。
もう少し慣れてきたら詳しい説明が掲載されているものや
全臨できるように全部掲載された1冊ずつの本が良いかもしれませんが
最初は有名な法帖が一度にざっと見られて
少しずついろいろ練習できる本がおすすめかなと思っています。
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法帖にはそれぞれストーリーがありますので
慣れて来てもし歴史が好きな方でしたらそういう切り口から選んでも
面白いかなと思います。
臨書って言われるがままに書いてしまって
自分が今何を書いているのか分からなかったり、
種類がたくさんありすぎてハードルが高いように感じてしまったりするのですが
実際のところは背景が面白かったり
歴史を感じられたりするワクワクするものなので、
その最初のきっかけとして使ってもらえると良いなと思います。
また、何か質問などあればいつでも聞いて下さればと思っています。
【失われたシリーズ②】愛媛大学教育学部附属中学校門標
澤田大暁作品集に掲載されているこの門標を探して
愛媛大学教育学部附属中学校へ行ってみましたが、
現在は縦書きのフォントの門標となっておりこの門標はありませんでした。
もしかしたら「附属」じゃなくて「付属」になっているからかも…
そのあたりは定かではありません。
しかしながら、この門標がなくなっているのは残念だなと思います。
手書きかフォントかというのは意外と見るとわかるものなので
唯一無二感が若干減ってしまう気がしてしまうのは
まぁ私が書に関わっているからだろうとは分かっているんですけどね。
どこかで保管…もしてないと思いますので
実物を観てみたかったなあという気持ちで残念になってしまいます。
noteを更新しました。
伏見冲敬先生の『習字』誌での連載(『書学散策』昭和55年6月号~昭和56年2月号)
我が家でいつも使っている角川書道字典の伏見冲敬先生は、
一時期『習字』誌で連載して下さっていたことがあります。
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現在でも、これを臨書しなさいと言われたから、とか
有名な法帖と言われたからというだけで
何も分からぬままに字だけを追ってしまうことはよくあることです。
そんな(私も含めた)あなたのために!
十七帖の法帖の内容についてゆっくりと解説してくださっています。
今読み返してみてもとても面白い記事です。
平易に書いて下さっているので分かりやすく、
また他の法帖についても調べてみたいと思う内容になっています。
こういう情報って必要だなと思います。
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この連載は、先生の体調不良により全8回で突然終わってしまうのですが
もっともっと読みたかったなと思う連載でした。
うちにある角川書店『書道字典』の話
このボロボロの書道字典は
我が家愛用の角川書店刊『書道字典』です。
(※上のリンクからAmazonに飛びます)
実は今は教室には置いてなくて(前は置いてたんですが)
大切にしまってあります。
初版本でもありますし、
伏見先生のサインも入っています。
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この字典は筒井先生から渡して頂いたと記録があったのですが
伏見冲敬先生と大暁の間は筒井先生を介していただけで
お互いがさしたる知り合いだとは思っていなかったのです。
でもこの前、気になっていたので直接筒井先生に伺ったところ、
伏見先生とは直接お会いして話していたことを知りました。
思っていたより親しくしていてビックリしましたし、
なんと『習字』誌上で連載もされていたことが分かりました!
(連載についてはまた別記事にしますね。)
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やはり日記は万能ではありませんね。
伺ってみて良かったです。
そして答えを知ることができることをありがたいと思いました。
大暁の始まりの師、三宅木兎先生
明日6月15日から19日(日)まで、
愛媛県美術館2階特別展示室において
一昨年はコロナでできなかったこと、
昨年はまだまだ人をそんなに呼べるような上京じゃなかったことから、
今年は久し振りに大々的に呼びかけられる展覧会となりました。
そこで今回、ちょうど筒井先生から三宅先生のかなの半切作品を頂いたので
大暁のかな作品と並べてちょっとしたコーナーを作り、
展示することにしました。
大暁のはじまりは教員生活初年度、
湯築尋常小学校で校長先生から習字の担当に指名されたことでした。
その同じ年の昭和10年に、愛媛師範学校へ赴任してきたのが
当時32歳の三宅木菟(本名:武夫)先生でした。
つまりは学生時代にお世話になっていたわけではないということです。
そして愛媛師範学校に教員として赴任する前の昭和16年に
自身の故郷である岐阜師範学校へ転勤して行っています。
(大暁が愛媛師範学校に赴任したのは昭和18年です)
ちょうど大暁が文検を目指して三宅先生を訪ね、
勉強している間だけ愛媛におられた先生ということになります。
人との出会いというのはこういうご縁なのかもしれないですね。
展示の際に展覧会場で三宅先生のかなと
大暁のかなを並べて見て、似ているところを感じました。
三宅先生に教わり、三宅先生が比田井天来先生の弟子(自称?)だったことから
大暁は手島先生と出会うことになります。
人とのつながりがまずあって、
そこから数珠繋ぎにどんどん世界が広がっていくさまは
もうご縁としか言いようがないですよね。
その起点が観られる展覧会だと思います。
戦前の地図(昭和13年の社会科の資料集)
我が家には古い本がたくさんあります。
和綴じの本も沢山あって、背表紙が無いので
正直本棚に置いてあっても何の本か全然分かりません。
競書雑誌とかもいろいろな種類があって、
『奎星会 書友版』とか、『書藝なにはづ』とか、
五禾書房の『書道』とかもありますし、
書道雑誌だと、『墨』もありますが
『書品』『墨美』『書道芸術』など
なんやかんや古いものがたくさんあります。
この前『松山百点』創刊号(1965(昭和40)年3月号)をご紹介する時
愛媛県立図書館で写真を撮りましたが家に帰るとパッと見つかりました。
こういうの、何度もやってます。
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さて、そんな我が家にあっても昭和10年代の本はけっこう珍しいです。
こちらは『新選 歴史精図』という本で、
おそらく社会科の資料集だと思われます。
昭和13年のもののようです。
しかもこの図版の中身は80年以上経っているのにカラーできれいです。
資料として貴重だなと眺めながら感心してしまいました。
書道に関係ないことですので単なる個人の感想なのですが
年代のわりにあまりにもきれいなのでご紹介しました。
横書きの文章を右から左に読むことや旧字体に抵抗が無い方なら
多分かなり面白いと思っていただけるのではないでしょうか。
こういう教科書で勉強していた時代があったのだという
一つの資料として貴重だと思います。
愛媛県習字教育研究会のバッジ(『習字』昭和30年7月~昭和31年2月)
私は存在すら知らなかったのですが、
バッジがあったらしいです。
これは昭和30年7月から昭和31年2月までだけの限定で販売されていました。
なんで蛍なのかとか、(蛍雪的な…?)
蛍って紺色だったかしらとか、
なんで三角なんだろうかとか、
なんかいろいろ気になる点があるのですが
そもそもこういうものがあったことにビックリしました。
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この文面に時代が出ていますよね。
一個「三五」円で、「二十五」個以上…のあたりにも、
今のようにパソコンで作成して印刷するのとは違う
アナログの趣きが感じられます。
「書家酒豪大会大阪場所」(『習字』1967(昭和42)年5月号)
大暁本人をご存知の方はご存知でしょう。
澤田大暁とお酒が切り離せないことを…!!
酒豪大会の記事を掲載するのも楽しそうなレポートですよね。
個人的には第23代木村庄之助さんと握手しているのが
めっちゃうらやましいところですね。
第24代木村庄之助さんから木村庄之助さんは木村伊之助を経由しないと
庄之助に上がれないことが決まったので、
第23代木村庄之助さんは最後の伊之助を経由しない庄之助さんです。
(文字だけ見たら意味不明な文章ですね笑)
ちなみに第23代木村庄之助さんは木村正直さんからの庄之助さんです。
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話が逸れました。
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お酒好きな印象の強い大暁ですが、
もともとはお酒にはめっぽう弱かったそうです。
ちなみに昭和29年時点での写真はこちらです↓
こちらは『習字』昭和29年11月号に掲載された写真です。
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え、だ、、、誰…??
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って感じですよね。
めちゃくちゃ痩せてます。
しかし、当時は当然のようにあった
「お酒の付き合い」がどうしても必要だと思ったそうで、
下戸から飲めるようになったのだとか聞きました。
下戸ってそんな強制的に飲めるようになるのかどうか、
私には分かりませんが
そういうことだと本人が言っていましたので
そうなのではないでしょうか。