小池邦夫先生の訃報に接して

小池邦夫先生が亡くなられたニュースを今日拝読して

昨年本当にお世話になったことに今また感謝しています。

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私が記念誌を作成しようと決めて小池先生にご連絡した際、

実はすでに先生は御病気で闘病しておられました。

「公表はしてないんだけど、もうかなり悪いんだよ」

とおっしゃっておられましたが

写真のようにお手紙もくださいましたし、

お電話もくださって励まして頂きました。

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今年になってからお送りしたお手紙に返信がなかったので

お悪いのではないかと心配していました。

昨年の70周年記念誌がなければこんなご縁もなかったと

今改めて行動して良かったと思っています。

ご本人の口からお話を伺えた事は宝だと思います。

これからお聞きすることができないのは本当に残念で寂しいですが

励ましてくださったお手紙の言葉はずっと残ります。

ありがとうございました。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【失われたシリーズ⑥】中山高校へ寄贈「凌雲」(1977(昭和52)年)

ここに一枚の写真があります。

旧中山高校へ卒業生が寄贈した大暁の作品です。

これは、昭和52年の日記に挟んであった写真です。

おそらくカラー写真だと思うのですが、

色が褪せすぎていてカラーなのかどうか分かりませんね。

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現在、旧中山高校は未来高等学校の中山キャンパスとして利用されています。

この作品がどうなったのかを問い合わせてみたところ、

現在も本館にかかっているというご返答を頂きましたので

ありがたく写真を撮影させて頂くことになりました。

こちらが現在の本館の入り口です。

うっすらと校章と学校名が見えますね。

こちらの詳細については

【失われたシリーズ①】愛媛県立中山高等学校題字(1976(昭和51)年1月)

↑こちらの記事をご参照ください。

この建物に入ってすぐ左手の壁に、作品はかかっていました。

外からはこんなにガラスがカラフルだなんて思っていませんでしたよね。

中から外を見てみるととても明るくきれいでした。

そこに、今もこの作品が飾ってありました。

近寄ると、しっかりプレートに名前もあり、落款も大暁のものです。

どこからどう見ても写真と一致していて、

それだけで嬉しかったです。

この作品はこの寄贈のための作品というわけではなくて

元々は東京での展覧会に出した作品だったそうです。

これからこの作品がどうなるのか分かりませんけれど、

四十年以上ここにずっと飾っていただけたことは

とてもありがたく、嬉しいことだと思います。

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【失われたシリーズ①】愛媛県立中山高等学校題字(1976(昭和51)年1月)

【学生書道展】たくさんの御来場ありがとうございました!

第70回愛媛県学生書道展は

2/12(日)に盛会にて終了いたしました。

今年は愛媛マラソンと日程がかぶってしまい

いろいろとご心配、御迷惑をおかけしたことと思いますが

のべ950人を超えるご来場者がありました。

ありがとうございました!

たったの2日で1000人近くの方に来ていただけたとは、

けっこうすごいことなんじゃないかと個人的に思っています。

これもひとえにご協力いただきました皆様のおかげです。

ありがとうございます。

 

また、来場者プレゼントのクリアファイルや

まちがい探しの賞品など、

受け取った方が喜んで下さっていたようで嬉しかったです。

 

今後もまた次の10年を頑張りたいと思います。

ぜひよろしくお願い致します!

【学生書道展】筆まめチョイスについてnoteにアップしました!

↑弊社マスコットキャラクター「筆まめ小僧」

明日(もう今日)から愛媛県美術館南館で
第70回愛媛県学生書道展が開催されます。
その中で、2年前から始めた企画である
「筆まめチョイス」があるのですが
それがどういうことなのか説明したnoteの記事をアップしました。

創業者澤田大暁の教え子の中に
絵手紙の小池邦夫先生や墨絵イラストレーターの茂本ヒデキチ先生がおられることからも分かるように、
そもそも大暁は複数の評価軸を持って作品を評価することができる人でした。
その理念を受けついで、2年前から始まった「筆まめチョイス」を
御来場の皆様に楽しんでいただけたらと思っています。

そして!選ばれた方は賞品がありますので
受付にぜひ申し出て下さい☆

リンクはこちら↓

https://note.com/aishuken/n/ncea5e8bc9519

【学生書道展】コロナ感染拡大防止対策について

第70回愛媛県学生書道展における感染拡大防止のための対策についてご説明します。

一昨年からと同じく、愛媛県美術館から

 ●一人一人の検温

 ●緊急連絡先の記入(会期後2週間で破棄します)

 ●マスクの着用

 ●会場内での飲食禁止

が義務付けられております。

また、もし体調が悪いようであれば、

御来場はご遠慮くださいますようお願い致します。

ご協力をお願い致します。

第70回愛媛県学生書道展の外看板が決定しました。

愛媛県美術館南館の外壁に貼る外看板が決まりました。

今回展は筆まめ小僧が嬉しそうに大きく出ている看板です。

出来上がり予想はこんな感じ↓

遠目でも分かるように目立っていて良いですよね。

マスコットキャラクター筆まめ小僧のおかげで

分かりやすくてとても気に入っています★

 

展覧会は来月2月11日(土)、12日(日)の二日間です。

今年も感染拡大防止のため体温の計測と連絡先の記入をお願いします。

マスク着用の上、安心してぜひいらしてくださいね。

第70回愛媛県学生書道展出品を締め切りました

記念展である

第70回愛媛県学生書道展の出品を締めきりました!

みなさま、たくさんのご応募ありがとうございました!!

今年は本当にたくさんの方のご応募があり、

昨年を大幅に超えた出品点数となりました!!

がんばって書いた作品がたくさんで嬉しいです。

ご応募ありがとうございます!

中の人はこれから作品と名前、学年があっているか確認したり、

作品を部門ごと、学年ごとに並べ替えたりして

審査の準備に取り掛かる予定です。

審査の結果は月末までに出品責任者の方にお送りします。

楽しみにお待ちください!

『中島司有書作展』推薦文(1974(昭和49)年1月)

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中島司有先生は何度か上野の森美術館で展覧会を開いていました。

この1974年、澤田大暁は作品集に推薦文を寄稿しています。

 

実は家で探したところ別の年の作品集しか見つけられず、

推薦文がどうしても読んでみたかったので

直接中島先生が創設した現代書道研究所に問い合わせをしました。

そうしましたら、現所長の佐伯司朗先生が直接お返事とこの画像をくださいました。

いろいろな方のお世話になっております。

本当にありがとうございます。

 

さて、この作品集の推薦文については、

この個展の2か月前、

11月12日に原稿用紙200字詰5枚にまとめて送ったという日記がありました。

この度ついにその内容をご紹介します。

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どうですか。

しょっぱなからの「親友」呼びで驚きましたよね。

「あれ、こんなに近しい感じ?」

と個人的にはびっくりしました。

直接ご存知の方は当たり前なのかもしれないです。

私は面白いなと感心しました。

 

また、戦後すぐから認知していて、

昭和31年からのつながりだったことや、

中島先生が松山市にお住まいだったころに親しくなったことなど、

私の持っている日記の昭和37年よりも前の情報が手に入ったことが

とても有意義でした。

こんな風にまた別の原稿から

日記以前のことが分かる資料が発掘されてほしいと思います。

どこにあるかはまだ分かりませんが楽しみに調査を進めたいと思います。

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中島司有「沢田大暁書作展に思う」(五禾書房『書道』第21巻7号(1975(昭和50)年7月))

五禾書房『書道』より中島司有「沢田大暁書作展に思う」(「習字」1976(昭和51)年9月号)

中島司有「沢田大暁書作展に思う」(五禾書房『書道』第21巻7号(1975(昭和50)年7月))

『習字』1976(昭和51)年9月号に掲載された記事

五禾書房『書道』をついに発見しましたのでご紹介します!

苦節五か月(意外と短い)、やっと見つけました。

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雑誌はあまり残っていないことが多く、

古本屋さんやネットで気づくたびに検索して回っていたのですが

なかなか該当の号が見つけられず時間がかかってしまいました。

今回やっとネットで見つけた時は、

嬉しくてお店の方にも自慢してしまいました。

よく考えると迷惑な客ですね笑

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当然のことながら内容は

『習字』1976(昭和51)年9月号に掲載された記事のと同じです。

ですが、記事の中に写真が掲載されていることは

今回手にしてみて初めて知りました。

「巌」と「喜」の作品ですね。

こんな感じにレイアウトされて記事になっていたとわかり

改めて嬉しかったです。

やはり百聞は一見に如かず、ですね。

この雑誌を残して下さっていた方にも、

この本を売って下さった古書店の方にも、

お礼を言いたい気持ちです。

ありがとうございました。

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五禾書房『書道』より中島司有「沢田大暁書作展に思う」(「習字」1976(昭和51)年9月号)

『中島司有書作展』推薦文(1974(昭和49)年1月)

『別格本山西山興隆寺』看板(1971(昭和46)年8月17日)

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8/17(火)
(合宿も)終りに近い頃、別格本山西山興隆寺の看板を書いてあげる。最後大沢和尚への別れのあいさつや大沢和尚のあいさつがあり、その時看板は永久に記念にしたいと述べてくれたことは生徒への気持も出ていた

澤田大暁は高校教師だった頃から毎年夏に

西条市丹原町にある西山興隆寺で合宿をしていました。

西山興隆寺公式ホームページはこちら

看板を書いているとあったので今どうなっているかと思い

お寺へ電話をかけてみたところ、

今は和尚さんが変わったためどの看板のことか把握していないのですが

看板であれば外にあるでしょうから

よければ実際に観に来てくださいとのことでしたので行ってまいりました。

 

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駐車場に車を停めて、さっそく上り口から入ります。

最初に小さな橋があり、写真正面に見える石碑のところから

右手におれて登っていくようです。

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右に曲がってすぐ、りっぱな門が姿を現しました。

ここ西山興隆寺は紅葉がとっても美しいらしいのですが

このあたりはまだまだ緑でした。(※2022年11月上旬)

そしてよーーーく見ると、

門の向こう側に恐ろしいほどの階段が…この時は見えていませんでした。

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分け入っても分け入っても青い山、ならぬ

登っても登っても階段…

緑が多いので空気はとてもおいしく

ゼェゼェ言っていても体に入る空気は少し冷たくて

すがすがしい気持ちになります。

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階段を覆うように木が生えていて、

緑のトンネルのようです。

多分紅葉シーズンに来たらすごくきれいだと思います。

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登る間にたくさんの杉の巨木がありました。

そのうちの一本は昭和43年に枯れ木となったと書いてありました。

昭和43年ならば毎年合宿をしている頃なので、

この杉が枯れ木となる前後で

大暁は合宿をしていたのだなと感慨深く思いました。

そして、その枯れ木にこんなにもまた新しい命が芽吹き

土にかえっていっている時間が経ったのだとも思いました。

 

さて、ここからすこし上ったところ右手側に、

何かの入り口がありました。

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みつけました!

この向かって右側の看板は、大暁の筆跡でしょう。

まだ本堂まではたどり着いていませんが

お目当ての看板を見つけてしまいました。

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板の左側面にはちゃんと、「大暁書」の名が入っています。

風雨にさらされたせいで随分滲んでいますけれども

たしかにまだここに残っていました。

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さて…

まだ階段は続いています。

見えにくいですが大きく写っている階段の左奥にもまだ階段が続いています。

ここまでだけでもかなりの階段を上ってきているので

着て来たコートはもう脱いでいるくらい暑いです。

しかし、せっかくなので本堂までは上ることにしました。

えっちらおっちら・・・・

 

上の方は木々が色づいて、

すでに黄色や赤の葉がたくさんありました。

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そしてこの記事最初の画像、本堂に到着しました!

この本堂は階段上がって右手にあるのですが、

寝泊まりするってなるとここではなくて、

左手側にあるこの建物だったのかなと思います。

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建物自体は変わっているかもしれないのでなんとも言えないのですが

母曰く階段の左だったような気がすると言っていたので

この場所にあったのかなと想像しています。

ちなみにこの左奥には塔が建っています。

(太陽の位置の関係で写真が撮れませんでした)

街灯などもほぼなさそうなこんな山奥では

夏とはいえ怖くなかったのかなと思いましたが

仲間と一緒ならさほど怖くもなかったのかなとか

毎年行くほどなのだからむしろ楽しかったのかなとか

いろいろ想像できました。

看板を見つけることができて本当に行ってよかったです。

 

追伸

行きがあるということは帰りもあるということで。

帰りもヒィヒィ言いながら降りました。

運転手の弟氏は膝が笑っていると言っていました。

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