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【書の鑑賞】まとめ
さいごに
書写にしても、書道にしても、
「必ずこれこそが正義!」という形が決められているわけではありません。
したがって、自分の感性や好みによるところも多くあります。
書写用のお手本を書いている時は
なるべくマイナスポイントがないように、
癖が強く出ないように気を付けて書きますが
自分の作品として仕上げる場合には
自分なりのリズムや癖があって当然だし、
その中にある美しさを大切にしてほしいと思います。
筆遣いについてだけは、
特に線の出し方等練習をしなくては出ない部分が多いので
そこには日ごろの練習がダイレクトに出ます。
ただ勢いがあるだけの線や
形にばかりとらわれてしまった線と
筆と自分が一体化して書いた線の間には
天と地ほどの差があります。
何をどう見て良いかわからない時には、
白い紙の中にある黒の部分がとても素敵だとか、
このかすれ方にはなんだか魅力を感じるといった
文字出ない部分にも注目してみると楽しくなると思います。
書の善し悪しが人それぞれであるように、
観る側だって人それぞれ、
それぞれが楽しめたらそれが一番だと思います。
皆様の書道の鑑賞がより充実したものになりますように。
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【会員限定】条幅指南2020年8月号
【書の鑑賞】4.線を引くということ③
2度書き
習字をするとき、
二度書きはあきまへんで~、という話はよく聞きます。
結局何がいけないかっていう話なんですけれども、
私の個人的見解としては、理由は二つあると思っています。
一つは、「そういうもの」という側面です。
ルールというと分かりやすいかもしれません。
例えば、野球をしていてボークになったとします。
ボークってなんでいけないの?と聞かれたら
「ルールだから」ということになるのではないでしょうか。
みんなが同じルールに則って競技を行うからこそ競技として公平性が保たれるのであって
そのルールを軽視するということは競技そのものを軽視することにつながりかねません。
二つ目は、前々回①でお話しした線質です。
書と絵の決定的な違いである「線」を重要視するという点において、
二度書きは絵の具で塗ることと同義となり、どうしても線質が劣ります。
一度で書いた力のこもった線には勝てません。
そうであれば、最初から一度で書けるように鍛錬しておくことが必要です。
ですから、二度書きはいけない、というルールになったのではないかと考えています。
最後の払いの先が綺麗にまとまらなくて「あー塗りたい!」と思う経験は
誰にでもあることです。
やりたい気持ちは経験者ならみんな理解できます。
だからといってやっていいわけじゃないので、
結論、日々の鍛錬が大切だということですね。
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【会員限定】条幅指南2020年7月号
【書の鑑賞】4.線を引くということ②
かすれ
書写をするときには特に、
かすれをダメだと思う人が多いように感じます。
もちろんただ単に墨の量の調節がうまくいっていないだけの
乾いたかすれはあまり美しくないですよね。
しかし、力のこもった墨量のある線のかすれについては
美しいと感じる線があることも事実だと思います。
で、結局どのあたりが見分けるポイントになるかというと、
筆先の方に墨が残っているかどうか、だと思います。
線を引くとき、力の入った線は、筆先がだいたい線のどちらかの端を通ります。
横画の場合は上側、縦画の場合は左側であることがほとんどです。
その筆先側に墨が残っている線には力があると感じます。
次回どこかで書作品を観る機会があれば確認してみてほしいのですが
筆の腹側だけがかすれている線のかすれからは、
躍動感と空気感、そして立体感を感じるはずです。
かすれはダメなわけではありません。
良いかすれを出せばいいだけなんです。(そこが難しいんですけど)