
桜が満開になっていますね。
お手元に7月号が届いていますでしょうか?
今月もコメントの続きを掲載しております。
みなさまのそれぞれの思い出があり
読んでいるとほっこりしますね。
来月まで掲載する予定ですのでよろしくお願いいたします。
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生活の中に生きる 書
今年の『関東明教』において
小池邦夫先生が大暁について書いて下さっています。
見開き2ページのうち、三分の一くらいを割いて
丁寧に書いて下さっていて嬉しかったです。
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関東に住んでいたこともあったのに
この同窓会誌を購読したことが無かったのですが
表紙の文字や絵をはじめ、
知っている方の作品や文章が数多く掲載されていて
読んでよかったと思いました。
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そして、快く1冊贈って下さった
関東支部の同窓会の方々に感謝致します。
そして、うっかり間違えて『明教』に問い合わせたにも関わらず
関東明教を調べて下さった担当の先生にも感謝しています。
みんな優しい…
本当にありがとうございました!
この新聞記事については、
『習字』誌で『読者のひろば』コーナーが始まった時に
第2回で登場したのでご存知の方は…あまりいないかもしれませんね。
なにしろそれでももう10年以上前の話です。
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サンケイ新聞に掲載されたこの記事は、
この両脇に名前がたくさん書かれてあったので、
多分広告として出したものかな?と思います。
文章は『習字』昭和56年1月号にも掲載されていました。
なんだか難解な感じの文章なのですが、
結局のところは
古典も臨書をすることで法帖の心に触れることができる
ということと、
自分の感動を表現する手段として、
過去の感動を表現した手段を土台に
現代の要素や個性をを自分なりに加えていくことが書である
ということかなと考えました。
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こういう書に対する考え方を書いている文章は
昔からずっと一貫して同じ信念を持っており、
生涯変わらなかったんだろうと思われます。
自分の心が動いて作品ができて、
そしてその作品がまた誰かを感動させる、というのが
芸術ってすごいなと思うところですよね。
松山北高校グループ旗(1967(昭和42)年~1990(平成2)年)の際に
ちらっと掲載しました『回顧と展望』を
家の本棚でようやく見つけました!
はー、よかった。
この70周年記念誌の表紙を開けたところに
この文字が登場します。
この文字が書かれてある紙が薄い和紙のような感じで、
なんとも高級感が出ています。
中の書道部のページです。
夏の合宿、表装の自作、というのは
大暁が指導する書道部のもはや伝統ですね。
裏打ちを今でもやっている部活は多いと思いますが
額を自分で作るのはなかなかないかもな、と思います。
でも、この時にやっておけば作品がどのようにできているのか
よく分かるような気がします。
大人になってからだと、表具屋さんにお願いするので
自分で作品を表具する機会ってあまりないですもんね。
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部活動はおそらく毎日やってそうな感じだったのですが
大暁自身は毎日みっちり行っているわけではなくて
手本を書きに行ったり
「やっとるかー?」と様子を見に行ったりするような
そのくらいの感じがしました。(記録を読む限りの印象です)
本人はまあまあの頻度で出張に行っていましたし、
欧州旅行へ行ったり、
愛媛に来県した方々を案内したりと、
あまりおとなしくじっと学校にいるようではなかったように思います。
我が家でいつも使っている角川書道字典の伏見冲敬先生は、
一時期『習字』誌で連載して下さっていたことがあります。
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現在でも、これを臨書しなさいと言われたから、とか
有名な法帖と言われたからというだけで
何も分からぬままに字だけを追ってしまうことはよくあることです。
そんな(私も含めた)あなたのために!
十七帖の法帖の内容についてゆっくりと解説してくださっています。
今読み返してみてもとても面白い記事です。
平易に書いて下さっているので分かりやすく、
また他の法帖についても調べてみたいと思う内容になっています。
こういう情報って必要だなと思います。
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この連載は、先生の体調不良により全8回で突然終わってしまうのですが
もっともっと読みたかったなと思う連載でした。
このボロボロの書道字典は
我が家愛用の角川書店刊『書道字典』です。
(※上のリンクからAmazonに飛びます)
実は今は教室には置いてなくて(前は置いてたんですが)
大切にしまってあります。
初版本でもありますし、
伏見先生のサインも入っています。
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この字典は筒井先生から渡して頂いたと記録があったのですが
伏見冲敬先生と大暁の間は筒井先生を介していただけで
お互いがさしたる知り合いだとは思っていなかったのです。
でもこの前、気になっていたので直接筒井先生に伺ったところ、
伏見先生とは直接お会いして話していたことを知りました。
思っていたより親しくしていてビックリしましたし、
なんと『習字』誌上で連載もされていたことが分かりました!
(連載についてはまた別記事にしますね。)
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やはり日記は万能ではありませんね。
伺ってみて良かったです。
そして答えを知ることができることをありがたいと思いました。
明日6月15日から19日(日)まで、
愛媛県美術館2階特別展示室において
一昨年はコロナでできなかったこと、
昨年はまだまだ人をそんなに呼べるような上京じゃなかったことから、
今年は久し振りに大々的に呼びかけられる展覧会となりました。
そこで今回、ちょうど筒井先生から三宅先生のかなの半切作品を頂いたので
大暁のかな作品と並べてちょっとしたコーナーを作り、
展示することにしました。
大暁のはじまりは教員生活初年度、
湯築尋常小学校で校長先生から習字の担当に指名されたことでした。
その同じ年の昭和10年に、愛媛師範学校へ赴任してきたのが
当時32歳の三宅木菟(本名:武夫)先生でした。
つまりは学生時代にお世話になっていたわけではないということです。
そして愛媛師範学校に教員として赴任する前の昭和16年に
自身の故郷である岐阜師範学校へ転勤して行っています。
(大暁が愛媛師範学校に赴任したのは昭和18年です)
ちょうど大暁が文検を目指して三宅先生を訪ね、
勉強している間だけ愛媛におられた先生ということになります。
人との出会いというのはこういうご縁なのかもしれないですね。
展示の際に展覧会場で三宅先生のかなと
大暁のかなを並べて見て、似ているところを感じました。
三宅先生に教わり、三宅先生が比田井天来先生の弟子(自称?)だったことから
大暁は手島先生と出会うことになります。
人とのつながりがまずあって、
そこから数珠繋ぎにどんどん世界が広がっていくさまは
もうご縁としか言いようがないですよね。
その起点が観られる展覧会だと思います。
私は存在すら知らなかったのですが、
バッジがあったらしいです。
これは昭和30年7月から昭和31年2月までだけの限定で販売されていました。
なんで蛍なのかとか、(蛍雪的な…?)
蛍って紺色だったかしらとか、
なんで三角なんだろうかとか、
なんかいろいろ気になる点があるのですが
そもそもこういうものがあったことにビックリしました。
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この文面に時代が出ていますよね。
一個「三五」円で、「二十五」個以上…のあたりにも、
今のようにパソコンで作成して印刷するのとは違う
アナログの趣きが感じられます。