愛光学園内『日野荘氏 顕彰碑』(昭和53年3月)

愛光学園内に『日野荘氏 顕彰碑』があります。

この『澤田大暁作品集』(昭和60年 正能商会)内では後ろ側がグラウンドですが、現在は

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上のような感じで新校舎の前に建っています。

裏はこんな感じです↓

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読んでいただくと分かるように、

愛光学園がここに移転してくる時に

それまでここ衣山の土地を所有し整備した日野荘氏の功績を讃え

碑を建立したようです。

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昭和50年代は大暁の石碑が多くあります。

昭和50年に高校の教員を退職したので、

時間的にも余裕ができたのかもしれません。

石碑はだいたい外に置いてありますし、

劣化しづらく長く残るので、

今調べるにはやりやすくて良いです。

字が薄くなっている場合もありますけれど、

あれは上から黒いペンキ?を塗れば大丈夫だったはず。

物があってすぐに見られるのはありがたいことです。

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愛光学園正門

愛光学園生誕地の石碑(1978(昭和53)年3月)

愛光学園二期生『にぎわい』リレーマラソン(1986(昭和61)年10月)、(『習字』1986(昭和61)年12月号)

俵原池 石碑 (1953(昭和28)年)

松山市北条にある俵原池(たわらばらいけ)には

石碑があります。

作品集で見つけたので撮影しに行ってきました。

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これが作品集内のページです↑

まず俵原池に初めて行ったので

行き着くまでにちょっと迷っちゃいました。

サンセットヒルズカントリークラブのすぐ近くなので、

そのつもりで看板を見ていくと良いと思います!

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作品集と同じアングルで写真を撮ってみました!

昭和28年ということは、沢田大暁はまだ30代です。

だからなのか、これには本名も書いてありますね。

最後に、その年の習字誌にもチラッと出ていましたのでご紹介します。

『習字』昭和28年7月号

後年の沢田大暁なら表紙に写真を使うくらいのことはしそうな気がしますけど、

まさかのたった4行!

逆にビックリしますよね。

立派な石碑でした。

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愛媛県護国神社「挺身」石碑(昭和52年)

愛媛県護国神社は、

松山市御幸にある神社です。

愛媛大学や松山大学が近くにあり、

お正月にはたくさんの方が初詣に来るそうです。

この神社の入り口から北西方向には、

第二次世界大戦の慰霊碑がたくさんあります。

その中のひとつ、

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「殉職女子挺身隊員慰霊之碑」を

沢田大暁が揮毫しています。

昭和60年発刊の『沢田大暁作品集』の中では

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↑こんな感じの写真が掲載されていました。

現在の様子を観に行くと、

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まったく変わらない姿でそこにありました。

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沢田大暁は大正4年生まれでしたので

終戦時にはすでに成人していました。

昭和10年から教師の道を歩んできていたということは、

きっと多くの教え子の死にも遭ってきたことと思います。

自分よりも若く未来のある教え子たちを見送る気持ちがいかなるものだったのか

私には想像もできません。

今日生きて元気に笑っていた子が

明日にはもうこの世にいないかもしれない生活は、

どこの誰にも起こってほしくないことです。

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碑の裏側には碑文が記されていたのですが、

こちらは文字が薄く読みづらくなっていました。

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そのため、碑文の内容を下に書いておきます。

碑文

殉職者
竹内和栄 武替悦子 渡部節子

太平洋戦争激化の昭和19年県立松山高等女学校卒業と同時に祖国の危急に応じて女子挺身隊員となり呉海軍工廠に赴き電気部三次電池工場に勤務中終戦を三ヶ月程に控えた昭和20年6月22日米機B29の爆撃を受け殉職された三柱の霊を慰め併せてこれら乙女達が身命をかけてかち得た国の平和が永遠に続く事を願ってこの碑を建てる

昭和52年12月
愛媛県立松山高等女学校
42期生

題字 澤田大暁

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