うちにある角川書店『書道字典』の話

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このボロボロの書道字典は

我が家愛用の角川書店刊『書道字典』です。

(※上のリンクからAmazonに飛びます)

実は今は教室には置いてなくて(前は置いてたんですが)

大切にしまってあります。

初版本でもありますし、

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伏見先生のサインも入っています。

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この字典は筒井先生から渡して頂いたと記録があったのですが

伏見冲敬先生と大暁の間は筒井先生を介していただけで

お互いがさしたる知り合いだとは思っていなかったのです。

でもこの前、気になっていたので直接筒井先生に伺ったところ、

伏見先生とは直接お会いして話していたことを知りました。

思っていたより親しくしていてビックリしましたし、

なんと『習字』誌上で連載もされていたことが分かりました!

(連載についてはまた別記事にしますね。)

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やはり日記は万能ではありませんね。

伺ってみて良かったです。

そして答えを知ることができることをありがたいと思いました。

愛媛師範学校女子部に勤めていた記録

「愛媛県女子師範学校・同付属小学校跡」碑(1977(昭和52)年)にある通り、

澤田大暁は1943(昭和18)年から1950(昭和25)年まで

確かに愛媛師範学校女子部で勤めていたのですが、

松山北高校を退職して年金をもらうようになる頃、

愛媛師範学校に勤めた記録がないので大変だったというエピソードがあります。

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というのも、愛媛師範学校男子部は当時木屋町にあったらしいのですが

その師範学校が松山大空襲で焼失してしまい、

事務書類も何もかもが失われてしまったのだそうです。

それで、勤めていた記録…というかなんなら働いた記録が

一切合切無くなっていたのだそうです。

そのため、愛媛師範学校でたしかに勤めていたと

証明してくれる人物を何名も集めて

書類を作るのが大変だった様子が書かれてありました。

(その間無職ってことになると年金に響きますものね)

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確かに、空襲で校舎も何もかも無くなってしまって

しかもその後男子部と女子部が一緒になったり

学校が木屋町と須賀町から城北へと移転したり、

学校名が変わったりという事務的に煩雑な時期に

ポンと県立高校へ転任してしまったとあれば

大変になってしまったのもうなづけるなとは思います。

最終的には証明できたようで良かったです。